マルコ・モッタ
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ウディネーゼ時代(2008年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Marco Motta | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1986年5月14日(39歳) | |||||
| 出身地 | メラーテ | |||||
| 身長 | 186cm | |||||
| 体重 | 76kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
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| ポジション | DF (RSB) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 2000-2004 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2004-2005 |
| 19 | (0) | |||
| 2005-2009 |
| 36 | (1) | |||
| 2007-2008 |
→ | 24 | (1) | |||
| 2009-2010 |
| 29 | (0) | |||
| 2010-2015 |
| 24 | (0) | |||
| 2011-2012 |
→ | 13 | (0) | |||
| 2012-2013 |
→ | 19 | (1) | |||
| 2014 |
→ | 13 | (0) | |||
| 2015 |
| 9 | (0) | |||
| 2016 |
| 12 | (0) | |||
| 2017-2018 |
| 46 | (3) | |||
| 2018-2019 |
| 0 | (0) | |||
| 2020- |
| 0 | (0) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2001-2002 |
| 3 | (2) | |||
| 2002-2003 |
| 14 | (4) | |||
| 2003 |
| 5 | (0) | |||
| 2003-2004 |
| 6 | (0) | |||
| 2004-2005 |
| 1 | (0) | |||
| 2005-2009 |
| 36 | (1) | |||
| 2008 |
| 6 | (0) | |||
| 2010 |
| 1 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2018年7月25日現在。 2. 2013年7月13日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
マルコ・モッタ(Marco Motta, 1986年3月14日 - )は、イタリア・ロンバルディア州メラーテ出身のサッカー選手。オモニア・ニコシア所属。ポジションはDF(右サイドバック)。
出身地と同じロンバルディア州に本拠地を置くアタランタBCのユースチームに入団し、その後トップチームデビュー。
2005年よりアタランタとウディネーゼ・カルチョの共同保有となり、2007年に完全移籍した。その後、8月3日にトリノFCへレンタル移籍し、2009年1月2日には故障などによるDF不足に苦しむASローマにレンタル移籍した。2月24日のアーセナルFC戦でUEFAチャンピオンズリーグ初出場を果たす。7月1日、移籍金350万ユーロ・3年契約の共同保有で移籍した。しかし、2009-10シーズンはマルコ・カッセッティの控えに甘んじ、シーズン終了後にウディネーゼに復帰した。
2010年7月5日にレンタルでユヴェントスFCに移籍。右サイドバックのポジションを獲得し22試合に出場したが、後半戦はフレデリク・ソーレンセンの台頭もあって出場機会が減少した。2011年6月22日、移籍金375万ユーロでユヴェントスに完全移籍した。
しかしアントニオ・コンテ監督就任後は、ステファン・リヒトシュタイナーとの競争に敗れ構想外になった。
2012年1月30日、カルチョ・カターニアに半年のレンタル移籍。7月19日には、ボローニャFCに1年間のレンタル移籍が決まった[1]。2014年1月23日にはジェノアCFCへ半年のレンタル移籍が決まった。
2015年2月2日、ユヴェントスとの契約を解除。2月26日、ワトフォードFCに加入した[2]。
2016年2月12日、チャールトン・アスレティックFCとシーズン終了までの契約を交わした。
2017年1月31日、UDアルメリアに2019年までの契約で加入した。
2018-19シーズンより、キプロス・ファーストディビジョンのオモニア・ニコシアと2年契約を締結した[3]。
代表歴
2005年にイタリアU-21代表に選出され、30試合以上に出場しキャプテンも務めた。2008年、北京オリンピックに出場し、グループリーグでは韓国戦の1試合に出場した。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦には先発出場したが、2-3で負けていた81分にGKアンドレア・コンシーリと交代した。2009年3月22日にはローマでの活躍が認められフル代表に初招集されるも、出場機会はなかった。
2010年8月10日、チェーザレ・プランデッリ新監督の初戦となるコートジボワール戦に出場し、フル代表デビューを果たす[4]。
エピソード
- ウディネーゼに加入して数ヶ月の時、イタリアの名DFだったパオロ・マルディーニの父でACミランでスカウトを務めるチェーザレ・マルディーニに「パオロの系譜を継ぐ者」と高く評価され、「パオロ・マルディーニは自分のアイドルだから、とても嬉しい」と語った[5]。
- 2009-10シーズンのセリエA第6節カターニャ戦ではファールすれすれの激しいプレーを行い、試合終了直後には相手FW森本貴幸が激高し髪を鷲掴みにするなど、乱闘寸前になった[6]。