ミルザ・デリバシッチ

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ポジション SG
愛称 キンジェ(Kinđe)
セルビア・クロアチア語 Мирза Делибашић[注釈 1]
ミルザ・デリバシッチ
Mirza Delibašić
故人
ポジション SG
基本情報
愛称 キンジェ(Kinđe)
セルビア・クロアチア語 Мирза Делибашић[注釈 1]
国籍 ボスニア・ヘルツェゴビナ
生年月日 (1954-01-09) 1954年1月9日
没年月日 2001年12月8日(2001-12-08)(47歳没)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国,ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国, トゥズラ
身長(現役時) 197cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 87kg (192 lb)
キャリア情報
ドラフト 1976年
選手経歴
1968-1972
1972-1980
1980-1983
KKスロボダ・トゥズラ
KKボスナ・ロイヤル
レアル・マドリード・バロンセスト
指導者経歴
1993-1994 ユヴェカゼルタ・バスケット
受賞歴
獲得メダル
 ユーゴスラビア
男子バスケットボール
ワールドカップ
1982 コロンビア
1978 フィリピン
ユーロバスケット
1981チェコスロバキア
1979 イタリア
1977 ベルギー
1975 ユーゴスラビア
オリンピック
1980 モスクワ
1976 モントリオール
U-18ユーロバスケット
1972 ユーゴスラビアU-18代表
U-16ユーロバスケット
1971 イタリアU-16代表

ミルザ・デリバシッチセルビア・クロアチア語:Мирза Делибашић、1954年1月9日- 2001年12月8日) は、ボスニア[注釈 2]のプロバスケットボール選手。後年は指導者も務めた。

デリバシッチは1991年にFIBA史上偉大な選手50人の一人に選出された。2007年にはFIBA殿堂入りを果たしたほか、2008年にはユーロリーグ史上偉大な貢献者50人 の一人にも選出された。彼は欧州バスケットボール史上最も素晴らしいシューターの1人だと広く見なされている。

ミルザは、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国トゥズラにて、イゼット・デリバシッチとザイカナ(旧姓メヒチェヴィッチ)[1]との間に生まれた。幼少期はテニスに取り組んでいて上手だったが、14歳の時にバスケットボールに転向した。

クラブ経歴

彼は15歳で、KKスロボダ・ディタ(地元トゥズラのバスケットボールクラブ)の試合に初出場した。3年後の1971年、彼はKKボスナ・ロイヤルと契約を結んだ。キンジェ(Kinđe)という愛称が付けられたミルザ・デリバシッチは、1979年にボスナをユーロリーグ優勝に導いた。ボスナを去った後デリバシッチはスペインのプリメーラ・ディビシオン(現:リーガACB)に行き、そこで彼はドラジェン・ペトロヴィッチアルヴィーダス・サボニスなどと共にレアル・マドリード・バロンセスト でプレーする最高の選手の一人だと見なされるまでになった。

クラブ経歴の中で、彼は欧州クラブの大会で数多くの栄冠を獲得。ミルザ・デリバシッチとドラジェン・ダリパギッチユーゴスラビア代表で一緒にプレーしたほか、上述のレアル・マドリードでも共にプレーした。経歴における様々な逸話の一つに過ぎないが、ザグレブで行われた1983年ユーロリーグの対KKチボナの試合ではデリバシッチが26点をダリパギッチが33点を獲得した。この試合は2on1の速攻が最後まで有効に機能し、デリバシッチはダリパギッチにパスする素振りのビハインド・ザ・バック[注釈 3]を決めたり、ブザー時にはDFからのパスで両手ダンクをやってのけた。試合終了時にはスタンディングオベーションが起こり、チボナのファンが試合でのチーム敗北を一旦脇に置いて、ボスニアのスター選手達によるパフォーマンスに感謝の意を表したほどだった。

現役引退

1983年初夏、当時29歳のデリバシッチはレアル・マドリードを離れて、イタリアリーグジュベカゼルタと契約し、そこで元ボスナの指導者ボグダン・タンジェヴィッチによる指導を受けた。

1983年8月、同チームはアルプス山脈にあるボルミオという町にシーズン前の訓練調整を行った。厳しい高地トレーニングを経てカゼルタへと戻ってきた後、デリバシッチは致命的な脳出血に罹って現役引退することとなった。危篤状態になると、ベオグラードの軍事医科学病院(VMA)に空輸するデリバシッチのための自家用機がすぐに手配され、彼はそこに数ヶ月間入院した。彼は一命を取り留めて回復したがバスケットボールのプレーに復帰できるほど十分ではなく、そのため選手からの永久引退を直ちに余儀なくされた。

代表チーム経歴

ヨーロッパで最も偉大な選手の地位に昇りつめる間に、ミルザ・デリバシッチはバスケットボールユーゴスラビア代表としてFIBAのあらゆる主要な大会で優勝しており、そこには1980年モスクワオリンピックでの金メダルや、2度のユーロバスケットでの金メダル(1977年大会1975年大会 )、1978年バスケットボール世界選手権(現:FIBAバスケットボール・ワールドカップ)での金メダルなどが含まれる。

受賞と業績

プロ選手での経歴

指導者経歴

デリバシッチは1992-1996年の都市包囲中もずっとサラエボで暮らしていた。同時期にデリバシッチは新たに設立されたバスケットボールボスニア・ヘルツェゴビナ代表を指導して、ドイツのユーロバスケット1993では8位という結果だった[3]

私生活と死去

脚注

外部リンク

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