ディノ・ラジャ

クロアチアのバスケットボール選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

ディノ・ラジャDino Rađa 1967年4月24日-)は、クロアチアスプリト出身の元プロバスケットボール選手。現役時代のポジションはパワーフォワードまたはセンター

生年月日 (1967-04-24) 1967年4月24日(58歳)
概要 引退, クロアチア語 ...
ディノ・ラジャ
Dino Radja
パナシナイコスBCでのラジャ
(1998年)
引退
クロアチア語 Dino Rađa
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1967-04-24) 1967年4月24日(58歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
クロアチア スプリト
身長(現役時) 211cm (6 ft 11 in)
体重(現役時) 120kg (265 lb)
キャリア情報
NBAドラフト 1989年 / 2巡目 / 全体40位
プロ選手期間 1985年–2003年
ポジション PF / C
背番号歴 40, 14
選手経歴
1985-1990
1990-1993
1993-1997
1997-1999
1999-2000
2000-2001
2001-2002
2002-2003
KKスプリト
ヴィルトゥス・ローマ
ボストン・セルティックス
パナシナイコスBC
KKザダル
オリンピアコスBC
KKシボナ
KKスプリト
受賞歴
NBA通算成績
得点 3,733 (16.7 ppg)
リバウンド 1,883 (8.4 rpg)
アシスト 356 (1.6 apg)
Stats ウィキデータを編集 NBA.com
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)
代表歴
キャップ  ユーゴスラビア
クロアチアの旗 クロアチア
獲得メダル
男子バスケットボール
 ユーゴスラビア
オリンピック
銀メダル - 2位1988 ソウルチーム
欧州選手権
銅メダル - 3位1987 アテネ
金メダル - 1位1989 ザグレブ
金メダル - 1位1991 ローマ
U-19 世界選手権
金メダル - 1位1987 イタリア
U-18 欧州選手権
金メダル - 1位1986 オーストリア
 クロアチア
オリンピック
銀メダル - 2位1992 バルセロナチーム
世界選手権
銅メダル - 3位1994 トロント
欧州選手権
銅メダル - 3位1993 ミュンヘン
銅メダル - 3位1995 アテネ
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経歴

クラブチームでの経歴

地元のKKダルヴィンでキャリアを開始した。その後KKスプリトに入りプロ生活を始めた。そこで彼はトニー・クーコッチと共に2度ヨーロッパのクラブ選手権を制覇した。また1988-89シーズンにはユーロリーグファイナル4MVP英語版に選ばれている。その後彼はセリエAヴィルトゥス・ローマに移籍して、チームの3連覇には立ち会わなかった。1990-91シーズン、彼は平均18.1得点をあげ、ヨーロッパのスポーツジャーナリストによる投票で、そのシーズン2番目に活躍した選手に選ばれた(最も票を集めたのはトニー・クーコッチ)。その後彼は平均得点を20.2得点、21.5得点とあげていき、1992年チームはコラチカップで優勝した。

1989年のNBAドラフトにて2巡目40位でボストン・セルティックスから指名されていたが、4年後の1993年にセルティックスと契約を結んだ。ルーキーシーズン、彼はシーズン平均15.1得点、7.2リバウンドをあげてNBAオールルーキーセカンドチームに選ばれた。セルティックスでは1試合平均16.7得点、8.4リバウンドをあげた。1997年、フィラデルフィア・セブンティシクサーズクラレンス・ウェザースプーンとのトレードが持ち上がったが、6月24日、フィジカルテストに失格した。

この年彼はヨーロッパへ復帰、パナシイナイコスBCに加入、2シーズンを過ごしギリシャA1バスケットボールリーグでの連続優勝に貢献した。クラブ社長の息子との試合後ロッカールームでの諍いもあり、彼はチームを退団、1999年にクロアチアのKKザダルに加入した。2000年にはギリシャに復帰、パナシナイコスの長年のライバルであるオリンピアコスBCに加入したが優勝することはできなかった。2001-2002シーズンをKKシボナ、2002-2003シーズンはKKスプリトでプレー、リーグ戦の優勝を花道に現役を引退した。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
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NBA

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1993–94 BOS 804728.8.521.000.7517.21.4.9.815.1
1994–95 664832.5.490.000.7598.71.7.91.317.2
1995–96 535237.4.500---.6959.81.6.91.519.7
1996–97 252535.0.440.000.7188.41.9.91.914.0
通算 22417232.6.497.000.7358.41.6.91.316.7
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プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1995 BOS 4338.3.400---.7147.02.31.01.315.0
通算 4338.3.400---.7147.02.31.01.315.0
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代表歴

1987年、イタリアボルミオで行われたバスケットボールジュニア世界選手権にユーゴスラビア代表として出場、金メダルを獲得した。その後、ユーゴスラビア代表クロアチア代表としてもトニー・クーコッチドラゼン・ペトロヴィッチブラデ・ディバッツらとともに長年活躍し、1988年のソウルオリンピックNBAに所属するマイケル・ジョーダンマジック・ジョンソンら、ドリームチームが初めて出場した1992年のバルセロナオリンピックでも銀メダル、ドリームチームIIも出場した1994年バスケットボール世界選手権で銅メダルを獲得している。

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