ムラド・メグニ
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ウム・サラル時代(2011年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 | Mourad Meghni | |||||
| 愛称 | Petit Zidan | |||||
| アラビア語 | مراد مغني | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1984年4月16日(41歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 180cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF (OMF) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1995-1998 |
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| 1998-1999 |
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| 1999-2000 |
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| 2000-2002 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2002-2007 |
| 72 | (11) | |||
| 2005-2006 |
→ | 16 | (0) | |||
| 2007-2011 |
| 48 | (0) | |||
| 2011-2012 |
| 4 | (0) | |||
| 2012 |
→ | 2 | (0) | |||
| 2012-2014 |
| 4 | (0) | |||
| 2015-2017 |
| 19 | (6) | |||
| 2002-2017 | 通算 | 165 | (17) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2000-2001 |
| 5 | (1) | |||
| 2002-2003 |
| 9 | (0) | |||
| 2003-2005 |
| 7 | (0) | |||
| 2009-2010 |
| 9 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2019年1月27日現在。 2. 2019年1月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ムラド・メグニ(アラビア語: مراد مغني, ラテン文字: Mourad Meghni, 1984年4月16日 - )は、フランス・パリ出身の元アルジェリア代表サッカー選手。現役時代のポジションはMF(攻撃的ミッドフィールダー)。
アルジェリアとポルトガルにルーツを持っている。テクニックに優れたプレーヤーで、母国では「Petit Zidan(プチ・ジダン)」の愛称で呼ばれている。
キャリア初期
アルジェリア人の父とポルトガル人の母の下パリに生まれる。若くしてクレールフォンテーヌからボローニャFCへ引き抜かれた。2003年1月12日のACミラン戦にて、18歳でセリエAデビュー。2005-06シーズンはFCソショーへレンタル移籍した。ボローニャでは72試合7得点を記録。2007年夏、SSラツィオに共同保有の形で移籍した。
ラツィオ
ラツィオでの初めてのシーズンは、リーグ戦19試合の出場。また、UEFAチャンピオンズリーグデビューを果たし、2007年11月6日のヴェルダー・ブレーメン戦ではトンマーゾ・ロッキのゴールをアシスト、チームの勝利に貢献した。2008年夏にはラツィオに完全移籍。2010-11シーズンは膝の負傷で棒に振り、シーズン終了後にクラブとの契約を解除した[1]。
カタール時代
翌シーズンよりカタール・スターズリーグのウム・サラルSCに加入[2]。2011年8月6日、シェイク・ジャシム・カップのアル=シャマルSC戦で1年半振りに公式戦のピッチに立った[3]。9月17日に行われたアル=ラーヤンSCとのリーグ開幕戦で太腿筋を負傷[4]。11月14日のレフウィヤSC戦で復帰するも[5]、この試合で内転筋を痛めて再び戦線を離脱した[6]。回復後は出場機会を失い、4月5日にアル=ホールSCへシーズン終了までローンとなった[7]。
2012-13シーズンよりレフウィヤSCへ移籍[8]。2013年10月には膝の手術を受け、翌年1月にクラブとの契約を解除した[9]。
キャリア晩年
2015年1月、シャン=シュル=マルヌにあるフットサルチームへ加入した[10]。2年半のブランクを経て、2015年7月9日にアルジェリア・リーグ1のCSコンスタンティーヌと2年契約を締結。初めて自身のルーツであるアルジェリアでプレーすることとなった[11]。しかしここでも鼠径部や足首の負傷に悩まされ、在籍2シーズンで19試合の出場に留まった[12]。
代表歴
2001年、フランスU-17代表として2001 FIFA U-17世界選手権に出場。フロラン・シナマ=ポンゴル、アントニー・ル・タレクとともに優勝の原動力となった。しかしフル代表には選ばれず、2009年6月にはフル代表はアルジェリア代表を選択した[13]。8月12日の親善試合ウルグアイ代表戦で初出場し、アルジェリア代表のエース級の存在となった。しかしながら、怪我で2010FIFAワールドカップは欠場している。
膝の負傷により1年半の間プレーを離れていた中、2011年8月にヴァイッド・ハリルホジッチ監督により代表へ招集された[14]。