モカ
イエメンの都市
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歴史

15世紀、珈琲豆の積出が始まった。コーヒーノキの原産地はエチオピアであるが、これを世界に広めたのはアラビア半島の商人達で、モカはコーヒー発祥の地とされている。
16世紀、オスマン帝国に征服された。帝国は紅海を通行する船舶にモカでの納税を義務付けたという。
17世紀、モカは珈琲取引で絶頂期を迎え、砦を中心に城壁が築かれた。約400人のユダヤ人が貿易に携わっていた[1]。ザイド派が支配するようになる。
18世紀、ペストの大流行によって人口の半分を失い、以降衰退が止まる事は無かった[1]。
19世紀前半まで、イギリス・オランダ・フランスはモカに工場を持ち、珈琲等の輸出を行った。
1820年12月、イギリスの東インド会社所属のフランスのフリゲート艦が、北と南の砦を攻撃・破壊した。これはイギリスのモカ市政府への要望を通すための攻撃だった。
1835年、ムハンマド・アリー朝(エジプト)のイブラーヒーム・パシャの攻撃によって海岸近くの城壁と砦が破壊され[1]、征服された。この頃にはエチオピアが自国の珈琲豆を直接輸出しており、価格がモカ経由の1/3だった事から、モカの立場は低下していた[2]。

1839年、イギリスがアデンを中心とする南イエメンを征服すると、モカの港湾機能はアデンに取って代わられた。
1849年、オスマン帝国に再征服される。
1918年、イエメン王国の一部としてオスマン帝国から独立した。
1962年、イエメン王国が滅亡し、イエメン・アラブ共和国(北イエメン)が建国された。
1990年、南北イエメンが統一し、イエメン共和国が建国された。
現在、コーヒー豆集散地の機能は無く[5]、漁業と小規模な観光で成り立つ。
2026年8月10日、フーシ派によるモカの民間インフラと軍部隊に対する攻撃で軍の関係者が4人、民間人が3人死亡し、少なくとも30人以上が負傷した。また、軍はフーシのドローンを11機迎撃し、破壊したことを発表した[6]。8月11日にはバブ・エル・マンデブ海峡にてエジプト船が攻撃され乗組員4人とイエメン人2人が殺された。8月15日にはモカ港がミサイル攻撃を受けて操業を停止した。港は25発以上の攻撃をうけた。施設及び設備の被害額は1600万ドルに上る[7]。
モカコーヒー
モカコーヒー(英: Mokha coffee、Mocha coffee)あるいは単にモカとは、イエメンの首都サナアの外港であるモカからかつてコーヒー豆が多く積み出されたことに由来する、コーヒー豆の収穫産地を指すブランドである[5]。モカブレンドとも呼ばれることがあり、他の安価な豆や異なる産地の豆を混ぜていない「シングルオリジン」であるものはモカ100%とも呼ばれることがある。
紅海対岸のエチオピアは、コーヒー発祥の地とされ、アラブの商人たちによって14世紀末、コーヒーの苗木がアラビア半島のイエメンにもたらされた。1615年にベネチア商人によって初めてコーヒーがモカ港よりヨーロッパに向けて出荷され、その後、エチオピアとイエメンのコーヒー豆はモカ港より船積みされることになった。16世紀当時は、エチオピア、イエメン以外に大きなコーヒーの生産地域はなかったため、コーヒーを船積みする「モカ」はコーヒーの代名詞でもあった。この名残りが現在まで残り、エチオピア産、イエメン産コーヒーのことを「モカ」と呼ぶ風習が21世紀となった現代においても生きている。
2008年5月日本で、エチオピア産コーヒー生豆から基準値を超える農薬成分が検出された事から輸入が規制され、日本国内では非常に手に入りにくくなった[8]。
イエメン産とエチオピア産
イエメン産のコーヒー豆は特に「モカ・マタリ[9]」 (Mokha Mattari、 Mocha Mattari) ともいい、イエメン北西部の高地産である。
さわやかな香りと強い酸味のある味わいが特徴で、かつて「コーヒールンバ」に唄われていたためか、日本でも人気が高い。「No.9」というのが、欠点豆の混入が比較的少ない等級であるが、ブラジルのNo.2抔と比べると数倍から十倍ほどの欠点豆があり、焙煎に際しては、入念なハンドピックが必要である。
エチオピア産は、シダモ(Sidamo)、ハラー(Harrah)、ディマ、レケンプティなど、収穫地名をつけて販売されることが多い。焙煎・抽出後のコーヒーは苦みが少ない代わりに酸味が非常に強く、フルーティーな香りがある。
モカコーヒーは、フルーティーな香りと強い酸味が特長で、高価なイエメン産、廉価であるエチオピア産、と長らく位置付けてきた。
2000年代に入り、スペシャルティコーヒー(高品質コーヒー)の需要が高まるにつれて、コーヒーチェリーをそのまま天日で乾かすナチュラル製法(天日乾燥式)が生産の中心だったエチオピアコーヒー生産の現場に、中南米で広く行われている水洗処理式(果皮を剥いたのちに、発酵槽で豆の周りの粘液質を除去する製法。ウォッシュト製法とも呼ばれる)を取り入れる生産者があらわれるようになった。これにより、イルガチェフェやシダモなどで、花の香水のような印象的な香りと、オレンジのような明快な風味と酸をもった高品質エチオピアコーヒーが生産されるようになり、それらは高値で扱われるようになり、エチオピアのコーヒーブランドを大きく高めた。2020年よりエチオピアはスペシャルティコーヒーの国際品評会カップ・オブ・エクセレンス開催国となり、今後の発展が期待される。また、発酵した味が出やすかったナチュラル製法も技術の進歩に伴い、完熟フルーツのような甘く個性的な香りのスペシャルティコーヒーを生産することができるようになった。
モカコーヒーは個性的な香りと印象的な酸味から、ブレンドコーヒーの配合にも多く使用される。モカからスタートしたコーヒーは、その後、インドを経由し、16世紀にインドネシアのジャワ島(英語読みではジャバ)にもたらされた。ジャバがモカに続く2つ目のコーヒー生産地域となった歴史を踏まえ、欧米のコーヒーショップでは、ブレンドコーヒーのひとつの型として、モカとジャバを配合した「モカ・ジャバ」を扱うことが多い。「モカ・ジャバは世界で最も歴史が古いブレンド」という謳い文句で扱われることも少なくない。ちなみに今でこそ、ジャバはロブスタ種の有数の産地だが、ジャバにロブスタが入ってきたのは1900年のことで、16世紀当時に生まれたとされるモカ・ジャバはアラビカ種同士で作られたものである。