モールコームステークス
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競走名の由来
モールコームステークスは、2歳馬の最短距離の重賞として定着している。グッドウッド競馬場で夏に開かれるグロリアスグッドウッド開催(7月下旬か8月上旬)の初日の競走で、近年は、9月にドンカスター競馬場で開催されるフライングチルダーズステークス(5ハロン)のための前哨戦の性格を持っている[3]。
モールコームステークスは1829年に創設され、1931年までの約100年間、すべての2歳馬(牡馬・騸馬・牝馬)の出走が可能だった。1932年から1980年までの約50年間は牝馬限定で行われた。1981年以降は再び牡馬・騸馬の出走が可能になっている。
1932年以前の優勝馬の中には、イギリス三冠馬のガルティーモア(en:Galtee More)、三冠牝馬のラフレシ(La Fleche)や、セントブレース(St. Blaise)、テトラテマ(Tetratema)、ムムタズマハル(Mumtaz Mahal)などの繁殖面で大成功をおさめた種牡馬・牝馬がいる。
競走名は、グッドウッドにあるカントリーハウスの一つで、第3代リッチモンド公爵チャールズ・レノックスが、妹のレディ・サラのために建築したモールコーム(Molecomb)からとられている。
彼女は幼い頃から宮廷に上がり、やがて15歳でジョージ3世の王妃候補になった。しかし、結局1762年に17歳で第6代準男爵サー・チャールズ・バンベリーと結婚した。
バンベリー卿は競馬の愛好者で、後にイギリスダービーの共同創設者の一人となり、初代優勝馬のダイオメドや二冠牝馬エレノアなどのオーナーとなる人物である[注 1]。
しかし、結婚の後に夫婦は不和になり、サラは1769年に不義の子を出産した。サラの不貞行為を理由にした離婚は、1776年にようやく議会の承認を得た。サラの兄のリッチモンド公爵は、独身となった妹のために、1777年にモールコームを建てた[4]。その後、サラは再婚し、8人の子をもうけている。
日本との関連
日本との関連では、第一次世界大戦後に優勝馬が4頭たて続けに輸入されており、いずれも種牡馬として大成功している。なかでもシアンモアとダイオライトはいずれも日本でチャンピオンサイヤーとなって、第二次世界大戦前後の大種牡馬として、シアンモア記念、ダイオライト記念という重賞競走に名を残している。また、レヴューオーダーも統計によっては1940年の日本のチャンピオンサイヤーとなっている。プライオリーパークも現在の菊花賞や皐月賞に相当する競走の優勝馬を輩出した。