ヤス・ウラノ
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- 学生時代は日本大学文理学部文理レスリング連盟に所属し、「ソクラテス浦野」というリングネームで学生プロレスラーとして活動していた。
- プエルトリコに渡りKAIENTAI-DOJOの一期生として練習を積んだ。2000年11月19日、Hi69を相手にデビュー。他の選手に先駆けて帰国し、FMWや全日本プロレスに参戦していた。
- 2002年4月20日、KAIENTAI-DOJO 旗揚げに参加。
- 2003年5月24日、UWA世界ミドル級王座を獲得した。
- 2004年、バジリスクメンバーとして小幡優作を襲撃したり、ときわ苑集会に乱入したり、山縣優に接吻したりと悪の限りを尽くす。
- 2005年、JOEのハンサムぶりに目を付け、引き立て役に。
- 2006年11月14日、GPWA興行にバジリスクのメンバーで出場。12月31日、インディーサミットに出場した。
- 2007年5月19日、WMFに参戦しミスター雁之助、藤田峰雄らと共にKHMを結成。以降、ユニットの主要メンバーとしてレギュラー参戦。7月5日、ミスター雁之助自主興行「鬼神道」にKHM総帥・藤田のセコンドとして参加。7月8日、KAIENTAI-DOJOを退団。7月9日、DDTに新木場大会よりシリーズ参戦。
- 2008年2月3日、DDT後楽園ホール大会のKO-D無差別級選手権次期挑戦者決定ロイヤルランブルで優勝。3月9日、現王者であり旧友のHARASHIMAとタイトル戦を行うことが決定。3月29日、(深夜興行のため30日)、DDT新木場大会で男色ディーノからアイアンマンヘビーメタル級ベルトを奪取。5月6日、後楽園ホールで行われたマッスルハウス6に参戦。自分に恨みを持つ日大の現役学生プロレスラー数名と、各1分という短時間で対戦した。
- 7月18日、自身初の自主興行「ヤスうけあい」を開催。
- 8月7日、DDT戦うビアガーデンにて、タッグパートナーのKUDOと共にプロデュースを担当。古巣の盟友MIYAWAKIをKUDOや矢郷良明と共にイジり倒した(MIYAWAKI本人は感謝を述べた)。
- 10月13日、DDT札幌天下三分の計メインイベントで「This is KAIENTAIルール」のレフェリーとして登場。RAVEカラーのK-DOJOジャージを着て90秒間試合を裁いた。
- 10月26日、DDT新宿FACE大会で登場した謎のイタリア人「PIZAみちのく」に激しく反応。高梨将弘率いる反乱軍のメンバー「反乱ソクラテス」としてイタリアンフォーホースメンとの抗争を開始するも、決着がつかぬまま11月30日DDT後楽園大会で「もうやりたくない」と離脱を宣言。以降、イタリア軍絡みのカードは組まれていない。
- 12月22日、二回目の自主興行「ヤスみじかん」を開催。
- 2009年1月3日、マッスルハウス7に出場。自主興行で対戦した澤宗紀とタッグを組みワンデイトーナメントに参戦(当初予定の大家健との「日大殺法コンビ」はストーリー上破談)。
- 1月16日、DDTとの契約更改で正式に入団契約。2月よりDDT所属選手となる。
- 8月23日、DDT両国国技館大会のKO-Dタッグ選手権4WAYマッチにKUDOとのタッグで参戦。「PIZAみちのく」に激しく反応し、イタリアンパウダーで視界を奪って首固めでKO-Dタッグ王座を奪取。以降、2010年1月現在で5度の防衛に成功。
- 2010年10月15日、プロレスリング・ノアの日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に初参戦。初日、小川良成からフォールを奪う大金星を獲得(タッグパートナーはディック東郷)。
- 2014年、自主興行「部屋とバンダナと私」を開催。火野裕士とメインでシングル対戦。タンクトップを脱いで戦うも敗北。
- 2015年、自主興行「ヤス大サーカス2015」を開催。同期のHi69とタッグを組みHARASHIMA&アントーニオ本多と対戦するも敗北。試合後、参戦選手に一人ずつ感謝の言葉を述べるが、福田洋にのみ「なにもない」と突き放した。
- 2017年、石井慧介の持つ世界ジュニアヘビー級王座に挑戦するも敗北。4月末、5月28日のDDT後楽園ホール大会をもってフリー転向を発表。ラストマッチではスマイルスカッシュのメンバーと組む予定だったが、高山善廣の欠場前まで保持していた「いつでもどこでも挑戦権」をウラノが獲得したため、ラストマッチで竹下幸之介の持つKO-D無差別級王座に挑戦。
- 5月28日、竹下の持つ無差別級に挑戦するも敗北。フリー転向後はプロレスリングBASARAにレギュラー参戦。
- 2025年11月16日、昼にKAIENTAI-DOJO設立25周年大会を2AWスクエア、夜にヤス・ウラノデビュー25周年記念大会を新木場1stRingを、両興行とも主催し開催した。
得意技
KAIENTAI-DOJO出身者ならではの一点集中攻撃、多彩な丸め込み技、反則などインサイドワークに長けたレスラーで、相手の攻撃を受けつつ一瞬の隙をついて勝利する職人的な試合展開が特徴。しかし、本人は自信をもって得意と言える技はないと公言しており、週刊プロレスの選手名鑑などのプロフィールで得意技の項目に技名が1つも書かれていない。
- ツームストーンパイルドライバー
- ヤスのフィニッシュ・ホールド。胴を抱えて反転させる仕掛け方で、落とす際に軽くジャンプする。
- クロスアームカナディアンボム
- 大一番で使う奥の手。
- 裏羽根折り固め
- 雪崩式フランケンシュタイナー
- シルバーブレット
- ディック東郷のものと同型。
- 低空ドロップキック
- 超高角度ミサイルキック
- 急所蹴り
- ヤスアタック
- ヤスパック
- キドクラッチと同型。
- 各種クイック
- スクールボーイ、スモール・パッケージ・ホールドなど
- ヤスクラッチ
- 後方回転式の羽根折り固め。
- クロスフィックス
- チョークスリーパー
- 「チョークスリーパー」と高らかに叫んで首を絞める。
- 形はスリーパーホールドだがチョークスリーパーと宣言したため反則カウントを取られ、文句を言う。
- 相手の耳元で大声で叫ぶ
タイトル歴
入場テーマ曲
- 初代:「GLEAM」(MAKIKO)※キングレコード「KAIENTAI DOJO」に収録
- 二代目:「GIZEN」(A1-joko)※キングレコード「KAIENTAI DOJO 2」に収録
エピソード
- 一時期、ケンドー・カシンの命令で派手なコスチュームにしていた。
- 以前はリング設営の仕事をしていた。DDTのリングを作った際にレスラーに憧れ、いつかDDTのリングに上がりたいと思っていた。
- KUDO、三和太、大家健らは共に日大文理学部の後輩にあたる。
- 2007年8月8日に出演したサムライTVの番組にてDDTテックの社員になったことが明らかになったが、初日にやらされたビデオの整理(S-ARENA内インタビュー)やマッスルハウス5の手伝いを行った程度で、出勤もしておらず、給料も貰っていない。
- 新北京プロレスに「安浦野」(アン・プーイェ)という風貌の似た選手が参戦しているが、両者の関係は定かではない。
- ブログにて生まれつき左耳の聴力が無いことを明かしている。
- ウラノの試合巧者ぶりを評した造語「ヤスティクス」は、週刊プロレスの鈴木健記者が生み出した。
- 実況では「リング上の哲学者」と呼ばれることもある。
- アントーニオ本多が一度「バンダナの小太り」と呼んでいた。
- 大舞台ではタンクトップを試合中に脱ぐこともある。
- 2015年、ニコニコ超会議のプロレスステージにおけるスーパー・ササダンゴ・マシンの煽りパワポにて、所沢市の実家の住所が番地まで全て公開された。
- 試合以外で写真を撮られたりSNSにアップされる行為を嫌っている。
- KAIENTAI-DOJO設立記念大会は以前、創設者のTAKAみちのくがSNSで提唱したものの、大半の同団体出身レスラーから信頼を失っていたため開催を断念していた。ヤスが自身の25周年も兼ねて開催を決意し、TAKAが出場しない条件から多くの出身レスラーを集め、前売りで完売となった。TAKAは記念パンフレットにヤス・Hi69とのインタビューが掲載された。
テレビ出演
- プロレスKING(GAORA)
- THIS IS KAIENTAI DOJO(GAORA)
- 水曜日のダウンタウン(2025年11月26日[1]、TBS)