ヤーセル・アラファト国際空港
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概要
パレスチナ自治政府初代大統領のヤーセル・アラファートにちなんで名付けられた。ガザ国際空港(ガザこくさいくうこう)またはダハニーヤ国際空港(ダハニーヤこくさいくうこう)とも呼ばれた。
沿革
パレスチナ公団によって所有・運営され、パレスチナ航空のハブ空港として使われていた。現パレスチナ領では唯一の空港であった。1998年に開港した。
この空港は日本、エジプト、サウジアラビア、スペイン、ドイツの資金援助によって建設、モロッコの国王ハサン2世の資金援助の元、カサブランカ国際空港をモデルにしモロッコの建築家によって設計された。1998年の開港式には、アラファートとアメリカ大統領(当時)のビル・クリントンが出席し、パレスチナ和平プロセスの進展を印象づけたはずであった。
しかし、2000年の第2次インティファーダが起きると、2001年12月4日および2002年1月10日、イスラエル軍は空爆やブルドーザーなどによる攻撃を行い、レーダー施設や空港ビルが破壊され閉鎖された[1]。
3月13日、国際民間航空機関(ICAO)はイスラエルのシカゴ条約違反を非難し、イスラエルに空港再開に向けた措置を取るよう「強く求める」決議を可決した[2]。
イスラエル国防省のシュロモ・ドロール報道官は、「空港の管制権はイスラエルにあるにもかかわらず、パレスチナ側は合意を遵守しなかった」「イスラエル側への事前通知やセキュリティチェックを経ずに人物や武器の出入りがあった」と主張した。パレスチナ民間航空のハリブ局長は、「イスラエルの問題は安全保障では無い。彼らは我々を懲罰し続けたいと思っていることだ。彼らは常に支配権を握っていたにもかかわらず」と反論した[3]。
2005年11月、イスラエルのガザ地区等撤退後、イスラエルとパレスチナは米国の仲介で、空港再開に向けた協議の継続で合意した[4]。しかし、親ハマースの武装勢力によるイスラエル兵誘拐への報復として、再開に向けた工事中の空港はイスラエルによって再び破壊された。また、2007年にハマースがガザ地区を占拠すると、空港再開の目処は全く立たなくなった[5]。その後も、イスラエルによって「テロ組織」によるロケット砲攻撃の拠点とされ、度重なる攻撃を受けて廃墟と化した。2018年には、空港の敷地はゴミ捨て場になっていた[6][7]。
2023年に2023年パレスチナ・イスラエル戦争が起きると、空港もまたイスラエル国防軍(IDF)に占領された。
- 破壊された空港ターミナル