ユア・アーセナル

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『ユア・アーセナル』
モリッシースタジオ・アルバム
リリース
録音 1992年
ジャンル オルタナティヴ・ロックインディー・ロック
時間
レーベル HMVイギリスの旗欧州連合の旗
サイアー・レコードアメリカ合衆国の旗カナダの旗
ライノ(2014年リマスターCD)
プロデュース ミック・ロンソン
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 4位(イギリス[3]
  • 12位(オーストラリア[4]
  • 21位(アメリカ[5]
  • 29位(ニュージーランド[6]
  • 42位(スウェーデン[7]
  • 71位(日本[1]
  • 76位(オランダ[8]
モリッシー アルバム 年表
キル・アンクル
(1991年)
ユア・アーセナル
(1992年)
ベートーベン・ワズ・デフ
(1993年)
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ユア・アーセナル』(Your Arsenal)は、モリッシー1992年に発表した3作目のスタジオ・アルバム

前作『キル・アンクル』(1991年)リリースに伴うツアーで、モリッシーはアラン・ホワイト、ボズ・ブーラー、ゲイリー・デイ、スペンサー・コブリンをバック・バンドに起用[9]。彼らはそのまま本作にも参加し、その後もモリッシーの活動を支えていく。なお、2014年に発売された本作のリマスターCDには、1991年10月31日のアメリカ公演の模様を収録したボーナスDVDが付属している[10]

プロデュースは、デヴィッド・ボウイ等との活動で知られるミック・ロンソンによる。モリッシーは『Uncut』誌2013年2月号のインタビューにおいて、「ミックはどんな時でも寛容で理解があって、我々は皆、本当に彼のことが大好きだった」と振り返っている[11]。なお、ロンソンは1992年当時、既に肝臓癌と診断されており、本作のリリースから1年にも満たない1993年4月29日に死去した[12]

「ユア・ゴナ・ニード・サムワン・オン・ユア・サイド」と「アイ・ノウ・イッツ・ゴナ・ハプン・サムデイ」は、前作『キル・アンクル』に参加したマーク・E・ネヴィン(元フェアーグラウンド・アトラクション)が作曲した。モリッシーが『Uncut』誌のインタビューで語ったところによれば、「アイ・ノウ・イッツ・ゴナ・ハプン・サムデイ」ではロンソンがデヴィッド・ボウイの曲「ロックン・ロールの自殺者」のコーダを流用し、驚くモリッシーに対してロンソンは「私がオリジナルを作ったんだから、何も起こりはしないよ」と返事したという[11]。なお、ボウイはロンソンから本作のテープを送られて、「アイ・ノウ・イッツ・ゴナ・ハプン・サムデイ」を「私が昔作った曲のパロディ」「この曲を取り上げて、1974年の私のやり方でやってみれば面白いだろう」と感じ、この曲のカヴァーをアルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』(1993年)に収録した[13]

反響・評価

全英アルバムチャートでは5週チャート圏内に入り、最高4位を記録[3]。本作に先行してリリースされたシングル「ウィ・ヘイト・イット・ホエン・アワ・フレンズ・ビカム・サクセスフル」は全英シングルチャートで17位に達し[14]、続く「ユア・ザ・ワン・フォー・ミー、ファティー」は19位を記録[14]。その後「サートゥン・ピープル・アイ・ノウ」(全英35位[14])もシングル・カットされた。また、2014年発売のリマスター盤は、同年3月8日付の全英アルバムチャートで49位を記録している[3]

オーストラリアのアルバム・チャートでは初登場12位となり、5週連続でトップ50入りした[4]

アメリカのBillboard 200では21位に達し、ザ・スミス時代及びソロ転向後を通じて自身初のトップ40入りを果たした[15][5]。また、グラミー賞では最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞にノミネートされたが、受賞は果たせなかった[16]

Stephen Thomas Erlewineはオールミュージックにおいて5点満点中4.5点を付け「グラムロックロカビリーをダイナミックかつ爽快に融合して、『ユア・アーセナル』はモリッシーが過去に作ってきたどのレコードよりもハードにロックしている」と評している[17]

収録曲

参加ミュージシャン

脚注

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