ユーライア・ヒープ
イングランドのハードロックグループ
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略歴
結成からデビューまで
1960年代中頃、ミック・ボックス(ギター)が結成した「ストーカーズ」にデイヴィッド・バイロン(ボーカル)が加入。1967年、ストーカーズが解散し、ボックスとバイロンは「スパイス」を結成。
同年7月、ボックス、バイロン、ポール・ニュートン(ベース)、ナイジェル・ペグラム(ドラムス)からなるスパイスは、当時ヴァーティゴ・レコードのプロデューサーだったジェリー・ブロン[2](1933年‐2012年)とプロデュ―サー兼マネージャーの契約を結んで[3]、アルバム制作の為にスタジオに入った[4]。やがて彼らはペグラムに代わってアレックス・ネピアー[5]をドラマーに迎え[注釈 1][4]、ブロンの意見を採用してキーボード奏者を探し始めた。そしてコリン・ウッドを起用して2曲を録音した[4]が、ウッドが正式メンバーになることを固辞したので、ニュートンが以前在籍していたゴッズの元メンバーであるケン・ヘンズレー(キーボード、ギター)を迎えた[4]。
5人編成になった彼らはブロンの提案を受け入れて、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズ(1812年‐1870年)の小説『デイヴィッド・コパフィールド』(1849年)の登場人物「ユライア・ヒープ」の名前を選んで「ユーライア・ヒープ」と改名した[注釈 2][4]。アルバム完成まで2曲を残した段階でネピアーが脱退したので、彼らはナイジェル(オリー)・オルソン[注釈 3]を迎えて1stアルバム『ユーライア・ヒープ・ファースト』を完成させた[注釈 4]。ボックスは1995年版CDのライナーノーツに「スタジオに入った時は4人組のスパイスだったのに、出てきた時は5人組のユーライア・ヒープになっていた」と書いている。
1970年6月19日にヴァーティゴ・レーベルからデビュー。その後、短期間だけツアーに参加したオルソン[注釈 5]に代わって、キース・ベイカーが加入した。
全盛期


1971年、シンフォニックな2ndアルバム『ソールズベリー』を発表。同年ドラマーをイアン・クラークに交替させ、プロデューサーのブロンが設立したブロンズ・レコードから代表作となる3rdアルバム『対自核』を発表[6]。同アルバムは11月13日付の全英アルバムチャートで39位を記録して、バンド初の全英トップ100アルバムとなった[7]。
1972年、ドラマーにリー・カースレイク、ベーシストにマーク・クラークを迎える。前作に伴うツアーから参加したクラークは僅か3ヶ月間在籍しただけで、次作の制作初期段階に脱退。後任ベーシストにニュージーランド出身のゲイリー・セインを迎えて、バイロン、ボックス、ヘンズレー、カースレイク、セインの顔ぶれで、ロジャー・ディーンをアート・ワーク担当者に起用したアルバム『悪魔と魔法使い』を発表。同アルバムからは「安息の日々(Easy Livin)」が日本でスマッシュ・ヒットした。続いて、同傾向のアルバム『魔の饗宴』を発表。ディーンが再びアート・ワークを担当した。
1973年、3月に初の日本公演。16日の日本武道館での公演を皮切りに、計5回のコンサートを開催。同年、6thアルバム『スイート・フリーダム』を発表。
1974年、これまでのユーライア・ヒープらしさを維持した最後のアルバム『夢幻劇』を発表。9月にセインがステージ上で感電事故に遭って重傷を負い、すぐに復帰したものの薬物中毒が酷くなり翌年に解雇される。
ジョン・ウェットンの加入とデヴィッド・バイロンの脱退
1975年、元キング・クリムゾンのジョン・ウェットンをベーシスト兼ボーカリストに迎えて、製作途中だった8thアルバム『幻想への回帰』を完成させて発表。同アルバムは全英7位を記録し、バンドにとって唯一の全英トップ10アルバムとなる[7]。この年に解雇されたセインが12月にヘロインの過剰摂取により死亡(27歳没)。
1976年、アルバム『ハイ・アンド・マイティ』を発表。ウェットンが曲作りの段階から参加して2曲をヘンズレーと共作した。両名が共にリード・ボーカルをとる「ワン・ウェイ・オア・アナザー(One Way Or Another)」がシングルとしてリリースされた。同年、アルコール中毒の問題を抱えていたボーカリストのバイロンを解雇。ウェットンはU.K.の活動に専念するため脱退した。
ケン・ヘンズレーの脱退と活動停止


1977年、新ボーカリストにジョン・ロートン、新ベーシストにトレヴァー・ボルダーを迎え、10thアルバム『ファイアフライ』を発表。
1978年、ハード・ポップ色を色濃くした11thアルバム『罪なきいけにえ』と12thアルバム『堕ちた天使』を発表する。
1979年、次作のための「Five Miles」セッションでアルバム1枚分のマテリアルを残すものの、カースレイクとロートンが脱退したため、同アルバムは幻と化してしまう[注釈 6]。
1980年、ジョン・スローマンをボーカル、クリス・スレイドをドラムに迎えた13thアルバム『征服者』を発表。オリジナル・キーボーディストのヘンズレーが脱退。後任にカナダ人キーボーディストのグレッグ・デシャートを迎え、シングル「シンク・イット・オーヴァー」を発表。さらにアルバム1枚分のマテリアルを残したものの、ここでも未発表に終わる。そしてボルダー、スローマン、スレイド、デシャートが相次いで脱退し、ボックス一人が残されたバンドは活動停止状態となる。
再始動
1981年、ミック・ボックス・バンドを組んで活動を続けていたボックスは、バンドのレコード契約にユーライア・ヒープの名前が必要となったため再編を図る。元ヘヴィ・メタル・キッズ、ライオンのジョン・シンクレア(キーボード)、元トラピーズのピート・ゴールビー(ボーカル)が参加して暫くの後、1979年にユーライア・ヒープを脱退した後に在籍していたオジー・オズボーン・バンドを脱退したリー・カースレイク(ドラム)と、同じく元オジー・オズボーン・バンドのボブ・デイズリー(ベース)を迎え、ハードでキャッチーな14thアルバム『魔界再来』(1982年)を発表。Paul Bliss作のシングル「ザッツ・ザ・ウェイ・ザット・イット・イズ」は、アメリカの『ビルボード』メインストリーム・ロック・チャートにおいて25位を記録するヒットとなる[8]。
1983年、同ラインナップで15thアルバム『ヘッド・ファースト』を発表。レコーディング後に脱退したデイズリーの後任として元メンバーのトレヴァー・ボルダーを迎え、ツアーを行う。
1985年、1976年に脱退したオリジナル・メンバーのバイロンが2月28日にアルコール依存症に起因する肝臓病により死去(38歳没)。CBS傘下のポートレイト・レーベル[注釈 7]に移籍し、16thアルバム『イクウェイター』を発表。ゴールビーとシンクレアは同年限りで脱退した。
元グランプリ組の加入からリー・カースレイクの脱退まで
1986年、かつて所属していたブロンズ・レコードが倒産。ボーカリストにステフ・フォンテイン、キーボーディストに元グランプリのフィル・ランゾンを迎えて活動再開。11月にフォンテインを解雇し、ボーカリストを元グランプリのバーニー・ショウに変える。1988年、ボックス、ランゾン、ショウ、ボルダー、カースレイクという新ラインナップによるライブ・アルバム『ライヴ・イン・モスクワ』をリリース。1989年、同ラインナップで製作された17thアルバム『レイジング・サイレンス』を発表。
1991年、18thアルバム『ディファレント・ワールド』を発表。9月に18年ぶり二度目の来日公演を行う。1995年の19thアルバム『シー・オブ・ライト』では、23年ぶりにロジャー・ディーンがアートワークを手がけ[9]、音楽的にも初期の作風に回帰した作品と評されている[10]。同アルバム完成後にショウが喉の治療を受けたため、ツアーの一部では代役として1979年に脱退したロートンがステージに立った[注釈 8]。1998年、20thアルバム『ソニック・オリガミ』を発表。以降は暫くアルバムを発表せず、コンサート活動に専念する。
2007年、健康上の理由からカースレイクが脱退。1986年から20年間という最も長続きしたラインナップが崩れる。
ラッセル・ギルブルック加入後

カースレイクの後任としてラッセル・ギルブルックが加入。2008年、10年振りのアルバムとなる21stアルバム『ウェイク・ザ・スリーパー』を発表。2009年、最新ラインナップによる往年の名曲の新録音版と新曲2曲を収録したデビュー40周年記念ベスト盤『Celebration』を発表。
2010年、10月にデビュー40周年記念として川崎クラブチッタにて19年ぶり三度目の来日公演を実施。「悪魔と魔法使い」完全再現コンサートを行った。ゲストには元ホワイト・スネイクのミッキー・ムーディが参加。このコンサートは『Official Bootleg vol3:Live in Kawasaki Japan 2010』としてCD化され、2013年に『ライヴ・イン・カワサキ 2010』として日本盤も発売された[11]。2011年、22ndアルバム『イントゥ・ザ・ワイルド』を発表。
トレヴァー・ボルダー死去以降

2013年、5月21日にボルダーが膵臓癌のため死去(62歳没)[12][13]。彼が療養中のツアーで代役を務めていたデイヴィー・リマーが、正式メンバーに昇格した。
2014年6月、リマーを含むラインナップで23thアルバム『異端審問』を発表[14]。
2016年1月、デビュー45周年記念として大阪Zeppなんば、川崎クラブチッタで、ジョン・ロートン率いるルシファーズ・フレンドと来日ジョイント公演を開催した[15]。
2017年1月31日、1976年に脱退したウェットンが大腸癌のため死去(67歳没)[16][17]。
2018年、24th[18]アルバム『桃源郷』を発表[19]。
2019年、結成50周年のタイミングで3月に五度目の来日公演を東西のビルボードライブにて行った[20]。7月11日にチェコで行われたマスターズ・オブ・ロック(フェス)に出演し、ゲストにジョン・ロートンとオリジナル・メンバーのポール・ニュートンを迎えた[21][22]。
2020年、脱退と再加入を経て長期間バンドを支えた後に2007年に病気で脱退したカースレイクが9月19日に前立腺癌のため死去(73歳没)[23][24]。11月4日に創設メンバーのケン・ヘンズレーが病死(75歳没)[25][26]。
バンドの終焉
2024年、バンドは最後のツアーとなる『The Magician's Farewell』を発表[30]。2025年2月より開始し2、3年で完遂する予定を明らかにした。メンバー達は、「ブレグジット(イギリスのEU離脱)の影響でバンドに関するコストが増大したため、維持するのが困難になった」と説明している[31]。
メンバー
(2026年7月時点)
現ラインナップ
- ミック・ボックス (Mick Box) – ギター(1969年-現在、初代ギタリスト、元スパイス)
- フィル・ランゾン (Phil Lanzon) – キーボード(1986年-現在、四代目キーボーディスト、元グランプリ)
- バーニー・ショウ (Bernie Shaw) – ボーカル(1986年-現在、六代目ボーカリスト、元グランプリ、プレイング・マンティス、ストレイタス)
- ラッセル・ギルブルック (Russell Gilbrook) – ドラム(2007年-現在、八代目ドラマー[注釈 9]、元ベドラム、クリス・バーバー・バンド、G.O.D.S)
- デイヴ・リマー (Dave Rimmer) – ベース(2013年-現在、八代目ベーシスト[注釈 10]、エレガント・ウェポンズ)
- ミック・ボックス(G) 2024年
- フィル・ランゾン(Key) 2024年
- バーニー・ショウ(Vo) 2024年
- ラッセル・ギルブルック(Ds) 2024年
- デイヴ・リマー(B) 2024年
旧メンバー
ボーカリスト
- デイヴィッド・バイロン (David Byron) – 1969年-1976年、初代。元スパイス。脱退後ラフ・ダイアモンド、ソロ。故人。
- ジョン・ロートン (John Lawton) – 1976年-1979年、二代目。元アステリックス、ルシファーズ・フレンド、レス・ハンフリーズ・シンガーズ。脱退後ルシファーズ・フレンド、レベル、ZAR、ルシファーズ・フレンドII、ガンヒル、ソロ、オン・ザ・ロックス。故人。
- ジョン・スローマン (John Sloman) – 1979年-1981年、三代目。元パルサー、ローン・スター。脱退後ゲイリー・ムーア・バンド、ポール・ヤング・バンド、ソロ、セッション・ボーカリスト ※プレイング・マンティスほか。
- ピーター・ゴールビー (Peter Goalby) – 1981年-1985年、四代目。元フェイブル、トラピーズ。脱退後パーフェクト・ストレンジャー、ソロ。
- ステフ・フォンテイン (Steff Fontaine) – 1986年、五代目。元ジョシュア。脱退後ハートエイク・シティ。
キーボーディスト
- ケン・ヘンズレー (Ken Hensley) – 1970年-1980年、初代。ギタリスト兼任。元ゴッズ、ヘッド・マシーン、トー・ファット。脱退後ブラックフット、ソロ。故人。
- グレッグ・デシャート (Gregg Dechert) – 1980年-1981年、二代目。元パルサー。脱退後デヴィッド・ギルモア・バンド、バッド・カンパニー。
- ジョン・シンクレア (John Sinclair) – 1981年-1985年、三代目。元ヘヴィ・メタル・キッズ、ライオン。脱退後オジー・オズボーン・バンド。
ドラマー
- アレックス・ネピアー (Alex Napier) – 1969年、初代。
- ナイジェル・オルソン (Nigel Olsson) – 1970年、二代目。元プラスチック・ペニー。脱退後エルトン・ジョン・バンド、ソロ、ウォーパイプス、セッションドラマー。
- キース・ベイカー (Keith Baker) – 1970年、三代目。元ベイカールー、スーパートランプ。
- イアン・クラーク (Ian Clarke) – 1970年-1971年、四代目。元クレシダ。
- リー・カースレイク (Lee Kerslake) – 1971年-1979年、五代目。元ゴッズ、ナショナル・ヘッド・バンド。脱退後オジー・オズボーン・バンド、1981年再加入(七代目)。
- クリス・スレイド (Chris Slade) – 1979年-1981年、六代目。元トム・ジョーンズ&スクワイヤーズ、トゥーモロー、マンフレッド・マンズ・アースバンド、テラ・ノヴァ。脱退後ゲイリー・ニューマン・バンド、デヴィッド・ギルモア・バンド、ザ・ファーム、ゲイリー・ムーア・バンド、AC/DC、エイジア。
- リー・カースレイク – 1981年-2007年、七代目。故人。
ベーシスト
- ポール・ニュートン (Paul Newton) – 1969年-1971年、初代。元ゴッズ。
- マーク・クラーク (Mark Clarke) – 1971年-1972年、二代目。元コロシアム。脱退後テンペスト、ナチュラル・ガス、レインボー、ヘンリー・グロス・バンド、ビリー・スクワイアー、イアン・ハンター・バンド、マウンテン、デイヴィー・ジョーンズ・バンド、コロシアム。
- ゲイリー・セイン (Gary Thain) – 1972年-1975年、三代目。元キーフ・ハートリー・バンド。故人。
- ジョン・ウェットン (John Wetton) – 1975年-1976年、四代目。ボーカリスト兼任。元モーグル・スラッシュ、ファミリー、キング・クリムゾン。脱退後U.K.、ウィッシュボーン・アッシュ、エイジア、ウェットン・マンザネラ、クァンゴ、ウェットン・ダウンズ、ソロ。故人。
- トレヴァー・ボルダー (Trevor Bolder) – 1976年-1981年、五代目。元スパイダーズ・フロム・マーズ。脱退後ウィッシュボーン・アッシュ、1983年再加入(七代目)。
- ボブ・デイズリー (Bob Daisley) – 1981年-1983年、六代目。元カーバス・ジュート、チキン・シャック、ウィドウメイカー、レインボー、オジー・オズボーン・バンド。脱退後オジー・オズボーン・バンド、ゲイリー・ムーア・バンド、ブラック・サバス、マザーズ・アーミー、カーバス・ジュート、フーチー・クーチー・メン。
- トレヴァー・ボルダー – 1983年-2013年、七代目。故人。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『ユーライア・ヒープ・ファースト』 - ...Very 'Eavy ...Very 'Umble (1970年)
- 『ソールズベリー』 - Salisbury (1971年)
- 『対自核』 - Look at Yourself (1971年)
- 『悪魔と魔法使い』 - Demons and Wizards (1972年)
- 『魔の饗宴』 - The Magician's Birthday (1972年)
- 『スイート・フリーダム』 - Sweet Freedom (1973年)
- 『夢幻劇』 - Wonderworld (1974年)
- 『幻想への回帰』 - Return to Fantasy (1975年)
- 『ハイ・アンド・マイティ』 - High and Mighty (1976年)
- 『ファイアフライ』 - Firefly (1977年)
- 『罪なきいけにえ』 - Innocent Victim (1977年)
- 『堕ちた天使』 - Fallen Angel (1978年)
- 『征服者』 - Conquest (1980年)
- 『魔界再来』 - Abominog (1982年)
- 『ヘッド・ファースト』 - Head First (1983年)
- 『イクウェイター』 - Equator (1985年)
- 『レイジング・サイレンス』 - Raging Silence (1989年)
- 『ディファレント・ワールド』 - Different World (1991年)
- 『シー・オブ・ライト』 - Sea of Light (1995年)
- 『ソニック・オリガミ』 - Sonic Origami (1998年)
- 『ウェイク・ザ・スリーパー』 - Wake the Sleeper (2008年)
- 『イントゥ・ザ・ワイルド』 - Into the Wild (2011年)
- 『異端審問』 - Outsider (2014年)
- 『桃源郷』 - Living the Dream (2018年)
- 『獄彩色』 - Chaos & Colour (2023年)
ライブ・アルバム
- 『ユーライア・ヒープ・ライヴ』 - Uriah Heep Live (1973年)
- 『ライヴ・イン・ヨーロッパ1979』 - Live in Europe 1979 (1986年)
- Live at Shepperton '74 (1986年)
- 『ライヴ・イン・モスクワ』 - Live in Moscow (1988年)
- 『スペルバインダー〜ライヴ・イン・ジャーマニー〜』 - Spellbinder Live (1996年)
- 『キング・ビスケット・ライヴ』 - King Biscuit Flower Hour Presents Uriah Heep in concert (1997年)
- Future Echoes of the Past (2000年)
- 『アコースティカリー・ドリヴン〜ライヴ2000』 - Acoustically Driven (2001年)
- Electrically Driven (2001年)
- 『真・魔の饗宴〜ライヴ2001』 - The Magician's Birthday Party (2002年)
- 『ライヴ・イン・ザ・USA〜ライヴ2002』 - Live in the USA (2003年)
- 『マジック・ナイト〜ライヴ2003』 - Magic Night (2004年)
- 『ライヴ・イン・アルメニア』 - Live in Armenia (2011年)
- 『即自への誘い〜ライヴ・アット・ココ』 - Live at Koko - London 2014 (2015年)
- 『ビトゥイーン・トゥー・ワールズ〜ライヴ2004』 - Between Two Worlds (Featuring Osibisa) (2018年)
- オフィシャル・ブートレグ
- Official Bootleg Series Vol. 1: Live at Sweden Rock Festival 2009 (2010年)
- Official Bootleg Series Vol. 2: Live in Budapest, Hungary 2010 (2010年)
- 『ライヴ・イン・カワサキ 2010』 - Official Bootleg Series Vol. 3: Live in Kawazaki, Japan 2010 (2010年)
- Official Bootleg Series Vol. 4: Live in Brisbane, Australia 2011 (2011年)
- Official Bootleg Series Vol. 5: Live in Athens, Greece 2011 (2012年)
- Official Bootleg Series Vol. 6: Live at the Rock of Ages Festival 2008 (2013年)
日本公演
1973年
1991年
- 9月17日 愛知 名古屋クラブクアトロ、18日 大阪 心斎橋クラブクアトロ、19日・20日 神奈川 クラブチッタ川崎、21日 北海道 ペニーレーン24
2010年
- 10月23日・24日 神奈川 クラブチッタ
2016年
- 1月14日 大阪 Zeppなんば、16日・17日 神奈川 クラブチッタ
2019年
- 3月19日 大阪 ビルボードライブ大阪、20日・21日 東京 ビルボードライブ東京