ラウヒ・ムシュタハ
ハマスの政治家、テロリスト
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ラウヒ・ムシュタハ(アラビア語: روحي مشتهى, ラテン文字転写: Rawhi Mushtaha、1959年 - 2024年7月頃)は、パレスチナのテロ組織ハマスの幹部。ハマスのガザ政治局員や財務担当などを務めた[1][2][3]。
ハマス政治局の上級メンバーとしてヤヒヤ・シンワルの腹心だったとみられている[4]。アメリカ合衆国から特別指定国際テロリストの指定を受けている[5]。2023年10月7日に起きたイスラエル南部へのテロ攻撃の最終決定を行った5人のうちの1人であると見られ[4][6][7]、2024年7月頃にイスラエル軍によって排除された[2]。
経歴
1959年、ガザ地区ガザ市のシュジャーイヤに生まれたとされる[8]。一方、アメリカ合衆国財務省外国資産管理局(OFAC)の制裁リストでは、生年月日は1958年1月1日から1960年12月31日までの幅付きで登録されている[5]。
ムシュタハはハマス創設期からの古参幹部であり、ハマスの内部治安組織「マジド」および軍事部門イッズッディーン・アル=カッサーム旅団の創設に関与した[1]。マジドは、後にハマスの情報組織である内部治安部隊の母体となった組織であり、スパイや密告者とみなした者、反対派に対する殺害・拷問・弾圧に用いられた[11][12]。
1988年、テロ活動によりイスラエル当局に逮捕され、殺人とテロ行為により4件の終身刑に服した[13]。
2011年にハマスに拉致されたイスラエル兵ギルアド・シャリートとの人質囚人交換により、ヤヒヤ・シンワルらとともに釈放された[1][2]。
釈放後の2012年、ハマス政治局員に選出された[1]。ガザ政治局では財務を担当し、シンワルに近い幹部となった[1][14]。
2015年、ムシュタハは、ハマス構成員を釈放させるためのさらなる捕虜交換を実現する目的で、カッサーム旅団に対し、より多くのイスラエル市民を誘拐するよう公然と呼びかけた[13]。
同年9月8日、アメリカ合衆国国務省は、ムシュタハーをヤヒヤ・シンワル、ムハンマド・デイフとともに、大統領令13224号に基づく特別指定国際テロリストに指定した[13]。同指定により、米国人との取引が禁止され、米国内または米国人の管理下にある資産・権益が凍結対象となった[13]。
イスラエル軍によれば、ムシュタハはシンワルとともにハマスの総合治安機構を設立し、イスラエルの刑務所でもシンワルとともに服役していた。2023年の戦争中には、ガザ地区におけるハマスの統治体制を維持しながら、イスラエルに対するテロ活動に関与した[2][3]。
また、イスラエル軍はムシュタハについて、ハマスの最上級工作員の1人として、ハマスの戦力配置に関する決定権にも直接影響力を持っていたと説明している[2]。
2023年10月7日のテロ
最期
2024年10月3日、イスラエル軍とイスラエル総保安庁は、約3か月前に実施した攻撃により、ムシュタハー、サーメフ・アル=シラージ、サーミー・オーデを排除したと発表した[2][3]。ムシュタハーはハマスのガザ地区責任者、アル=シラージはハマス政治局治安担当および労働委員会担当、オーデはハマス総合治安機構司令官であった[2][3]。
攻撃はイスラエル軍と総保安庁の精密な情報に基づいて実施され、イスラエル空軍の戦闘機が、ガザ地区北部にある要塞化・装備された地下施設を攻撃した。同施設はハマスの指揮統制センターとして使われ、幹部らが長期間滞在できる地下施設であった[2]。
イスラエル軍は、ムシュタハについて、シンワルの最側近の「右腕」であり、ガザ地区のハマス政治局における最上級の人物で、戦時中にはハマス体制の民政統治を維持しながらイスラエルに対するテロ活動に関与していたと説明した[2][3]。
ハマスは当初、ムシュタハらの死亡を認めなかったが、それについて、イスラエル軍は、ハマスは、テロ工作員の士気と機能の低下を避けるために損失を隠しているとしている[2]。