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ラウル・モンデシー

ドミニカ共和国の野球選手 (1971 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

ラウル・ラモン・モンデシー・アベリーノ(Raúl Ramón Mondesí Avelino , 1971年3月12日 - )はドミニカ共和国サン・クリストバル州出身の元政治家、元プロ野球選手(右翼手)。

生年月日 (1971-03-12) 1971年3月12日(55歳)
投球・打席 右投右打
概要 基本情報, 国籍 ...
ラウル・モンデシー
Raúl Mondesí
ロサンゼルス・ドジャース時代
(1998年のスプリングトレーニングにて)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サン・クリストバル州
生年月日 (1971-03-12) 1971年3月12日(55歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 アマチュア・フリーエージェントとしてロサンゼルス・ドジャースと契約
初出場 1993年7月19日
最終出場 2005年5月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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メジャーリーグベースボールで13年プレーした後、故郷のドミニカ共和国で政界に進出した。2006年から共和国議会の下院議員を務め、2010年から2016年までサン・クリストバル州の州都サン・クリストバル市で市長を務めたが、市長在任中の横領容疑で刑事告訴され、2017年に禁錮8年の有罪判決を受けた。

息子が2人おり、長男のラウル・モンデシー・ジュニアも元プロ野球選手でミルウォーキー・ブルワーズ傘下に所属していた。次男のラウル・アダルベルト・モンデシーはボストン・レッドソックスに所属している。

経歴

野球選手として

ドミニカ共和国にファーム組織「ドジャース・アカデミー」を持つロサンゼルス・ドジャースに見出され入団。1993年7月19日にメジャー初出場を果たす。初のフルシーズンとなった1994年(ストライキでシーズン短縮)は112試合に出場し打率.306、16本塁打、56打点をあげてナ・リーグ新人王に選出された。また、ドジャースは1992年 - 1996年にかけて5年連続で新人王を輩出した。順にエリック・キャロス、マイク・ピアッツァ、モンデシー、野茂英雄、トッド・ホランズワースである。

1995年には打率.285、26本塁打、そして27盗塁とスピードをアピールし、オールスター出場。ロベルト・クレメンテを思わせる強肩でゴールドグラブ賞も獲得した。

1996年には打率.297、24本塁打、88打点、14盗塁でチームのワイルドカードでのプレーオフ進出に貢献。 1997年には自己最高の打率.310、そして30本塁打、32盗塁を記録して、球団史上初の「30-30クラブ」を達成した。また、モンデシーが30本塁打に到達したことで、ドジャースとしては1977年以来となる30発カルテット(ピアッツァ、キャロス、モンデシー、トッド・ジールの4人)が誕生している。

1998年にも30本塁打を打つが盗塁が16に終わるも、1999年に33本塁打、36盗塁で2度目の「30-30」を達成。その年限りでトロント・ブルージェイズに移籍。

移籍初年度の2000年は故障で96試合の出場に終わったが、それでも24本塁打、22盗塁を記録。2001年は30盗塁を記録も本塁打が27に終わり、3度目の「30-30」はならず。 以後はチームを転々とし、2002年途中にニューヨーク・ヤンキース、2003年途中にアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍。成績は下降気味であったが、2003年はそれでも.272、24本塁打、71打点とまずまずの活躍。

2004年2月にピッツバーグ・パイレーツと1年115万ドル(2005年はパイレーツが契約オプションを保持し、60万ドルで解雇できる)契約を結んだが、わずか26試合に出場して5月11日に、突如個人的な理由でドミニカ共和国に帰国。のちにその理由は、打撃インストラクター、マリオ・ゲレーロからの脅迫によるものと判明したが、チームからは1週間後に解雇された。10日後にアナハイム・エンゼルスと契約したが、状況が疑わしかったため、メジャーリーグ機構によって調査された。しかし故障もありわずか8試合の出場で故障者リスト入りし、7月に解雇となった。2005年はアトランタ・ブレーブスと契約したが、もはや往年の力はなく、5月下旬に解雇され、そのまま現役を引退した。

引退後の2007年5月15日、ドジャー・スタジアムでドジャース対カージナルスの試合を観戦するモンデシーの姿がスタジアムのスクリーンに映し出され、現役時代と同様「Ra-ooooo-ool!」というファンの歓声が贈られた。

政治家として

引退後は故郷のドミニカ共和国で暮らしている。2006年に政権与党であるドミニカ解放党(PLD)(英語版)の公認候補としてドミニカ共和国下院選挙に出馬し、初当選した[1]。その後、与党のPLDから野党第一党のドミニカ革命党(PRD)(英語版)へと移り[1]、2010年のサン・クリストバル市の市長選挙に出馬して勝利し[2]、2010年から2016年までサン・クリストバル市長を務めていた[3][4]。

サン・クリストバル市長を退いた後、2億ペソ以上の公金を在任中に着服した容疑で起訴され、2017年2月17日には自宅拘禁6ヶ月の処分を受けた[5][6][7]。2017年9月20日、禁錮8年および127万ドル相当の罰金という有罪判決を受けた[4]。同時に10年間の公職追放処分を受けている[4]。

選手としての特徴

  • 打撃

100試合以上に出場したシーズンでは、打率.290以上を3度、うち2度が.300以上であるが、通算打率は.273でありミート力は平均的である。左右別では、どちらの投手からも.270以上打っており、得手不得手はない[8]。得点圏での通算打率は.250であり、通算打率と比すればチャンスの場面はやや苦手としていた[9]。パワー面では、3年連続30本塁打以上を含む9年連続20本塁打以上を記録しており、通算でも271本塁打を放っているスラッガーである。

  • 走塁

通算229盗塁を決めており、俊足であり、本塁打と合わせて「200本塁打・200盗塁」をクリアしている。1997年と1999年には30盗塁以上を決め、シーズン「30本塁打・30盗塁」を同時達成、1997年に関しては打率も.300を超えており、トリプルスリーを達成するなど、バランスが良い。通算の盗塁成功率は71%である。

  • 守備

1995年と1997年に右翼手でゴールドグラブ賞を獲得した実績があり、好守も併せ持つ。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

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二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1993 LAD 429186132531442104110400161.291.322.488.810
1994 112454434631332781622456118021652789.306.333.516.849
1995 139580536911532362626688274073344967.285.328.496.824
1996 1576736349818840724314881470232951226.297.334.495.829
1997 159670616951914253033387321513447610511.310.360.541.901
1998 14861758085162265302889016100430431128.279.316.497.813
1999 1596806019815229533290993690571631343.253.332.483.815
2000 TOR 96426388781052222420367226033203738.271.329.523.852
2001 149653572881442642725984301102733612813.252.342.453.795
2002 753352995167161151304592023113578.224.301.435.736
NYY 713022703965180111164364022822463.241.315.430.745
'02計 14663756990132341262468815604593510311.232.308.432.740
2003 9840336156932331617049177023862666.258.330.471.801
ARI 451831622749818832254021801313.302.372.512.884
'03計 1435865238314231424253712211045663979.272.343.484.827
2004 PIT 2611099828802421401001100271.283.355.424.779
ANA 837342410181020020141.118.189.235.424
'04計 341471331032903501503001301312.241.313.376.689
2005 ATL 411551421730714511701011230355.211.271.359.630
MLB:13年 1525636958149091589319492712819860229922374755041113093.273.331.485.816
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年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
年
度
球
団
中堅(CF)左翼(LF)右翼(RF)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

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補

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失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
1993 LAD 6110001.0002022110.9581722221.923
1994 1519110.952-1091841671.966
1995 2455320.967-1142261343.984
1996 --15733711124.967
1997 --1593361040.989
1998 94179541.979-54108120.982
1999 10000-----158315765.982
2000 TOR --96202572.967
2001 --1492631882.972
2002 --62118321.984
NYY 1122010.957-59101430.972
'02計 1122010.957-121219751.978
2003 --97196731.985
ARI 260001.000-4274231.962
'03計 260001.000-139270962.979
2004 PIT -1421020.9131223210.962
ANA 7201001.000--
'04計 7201001.0001421020.9131223210.962
2005 ATL --4067210.986
MLB 1603121081.9763443130.936132525721036521.976
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表彰

記録

背番号

  • 43(1993年 - 2005年)

関連項目

出典

外部リンク

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