ルイス・コールマン

アメリカの野球選手 (1986-) From Wikipedia, the free encyclopedia

ハロルド・ルイス・コールマンHarold Louis Coleman , 1986年4月4日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州レフロア郡グリーンウッド出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

生年月日 (1986-04-04) 1986年4月4日(40歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
205 lb =約93 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
ルイス・コールマン
Louis Coleman
ロイヤルズ時代(2011年5月24日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシシッピ州レフロア郡グリーンウッド
生年月日 (1986-04-04) 1986年4月4日(40歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 MLBドラフト5巡目
初出場 2011年4月21日 クリーブランド・インディアンス
年俸 $750,000 (2016年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

プロ入り前

2005年MLBドラフト28巡目(全体857位)でアトランタ・ブレーブスから指名されたが、ルイジアナ州立大学へ進学した。大学2年時にアンダースローからサイドスローへのフォーム変更が功を奏して成績が向上。

2008年MLBドラフト14巡目(全体421位)でワシントン・ナショナルズから指名されたが、契約には至らなかった。2009年メンズ・カレッジ・ワールドシリーズでは胴上げ投手となった。

プロ入りとロイヤルズ時代

2009年のMLBドラフト5巡目(全体152位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され[2]、7月9日に契約した。契約後、傘下のA級バーリントン・ビーズ英語版でプロデビュー。4試合に登板後、8月にA+級ウィルミントン・ブルーロックスへ昇格。A+級ウィルミントンでは10試合に登板して3勝1敗1セーブ、防御率1.26、22奪三振を記録した。

2010年はAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズで開幕を迎え、21試合(先発1試合)に登板。2勝1敗6セーブ、防御率2.09、55奪三振の成績で、7月にAAA級オマハ・ロイヤルズへ昇格。AAA級オマハでは21試合に登板して5勝2敗1セーブ、防御率2.23、48奪三振を記録した。

2011年はAAA級オマハ・ストームチェイサーズ[3]で開幕を迎え、6試合に登板後、4月21日にロイヤルズとメジャー契約を結び[4]、同日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。2点ビハインドの7回表から登板し、2回を2安打無失点に抑えた[5]。その後はシーズン終了までリリーフに定着し、この年は48試合に登板して1勝4敗1セーブ、防御率2.87、64奪三振を記録した。

2012年2月22日にロイヤルズと1年契約に合意[6]。3月29日にAAA級オマハへ配属され、開幕を迎えた。4月15日にメジャーへ昇格[7]。リリーフとして7試合に登板していたが、5月5日にAAA級オマハへ降格[8]。5月17日に再昇格し[9]、敗戦処理として9試合に登板後、6月13日に再びAAA級オマハへ降格したが、18日に再昇格した[10]。しかし同日のヒューストン・アストロズ戦で、2回を5安打5失点と救援に失敗し、6月20日にAAA級オマハへ降格した[11]。なかなかメジャーに定着できなかったが、7月4日のメジャー昇格[12]後はリリーフに定着。この年は42試合に登板して防御率3.71、65奪三振を記録した。

2013年3月2日にロイヤルズと1年契約に合意[13]。3月28日にAAA級オマハへ配属され、開幕を迎えた。5月23日にメジャーへ昇格し、4試合を全て無失点に抑えていたが、6月4日にAAA級オマハへ降格。7月8日に再昇格した[14]。再昇格後も好投を続け、16試合で1失点、防御率0.47を記録していたが、8月28日にルーク・ホッチェバーが父親産休リストから復帰したため、AAA級オマハへ降格。9月3日に再昇格した。この年は27試合に登板して3勝0敗、防御率0.61、32奪三振を記録した。

2014年2月21日にロイヤルズと1年契約に合意した[15]3月29日に指の怪我で15日間の故障者リスト入りしたため、開幕ロースターから外れた[16]。4月9日に故障者リストから復帰。復帰後は17試合に登板したが、防御率6.27と振るわず、6月2日にAAA級オマハへ降格[17]。6月17日に再昇格したが、同日のデトロイト・タイガース戦で失点し、6月22日にAAA級オマハへ降格した[18]。7月10日に再昇格したが、2試合で5安打4失点と結果を残せず、16日に降格。8月29日に再昇格した[19]が、プレーオフのロースター入りすることはできなかった。この年は31試合に登板して1勝0敗1セーブ、防御率5.56、24奪三振を記録した。

2015年4月2日に40人枠を外れる形で[20]AAA級オマハに降格し、開幕を迎えた。9月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[21]。この年は4試合の登板に留まり、メジャーデビュー以来では初となる10試合未満の登板に終わった。しかし、失点はせずに防御率0.00で1勝を挙げ、2013年から3年連続で無敗(勝率1.000)だった。

2016年1月29日にイアン・ケネディの加入に伴ってDFAとなった[22]。2月3日に自由契約となった[23]

ドジャース時代

2016年2月19日ブランドン・マッカーシーの60日間の故障者リスト入りに伴い、ロサンゼルス・ドジャースと1年75万ドルで契約を結んだ[24][25]。8月3日に右肩の疲労で15日間の故障者リスト入りした[2]。9月2日に復帰し、11試合に登板したがポストシーズンはアクティブ・ロースターには入らなかった[2]。12月2日にノンテンダーFAとなった[26]

レッズ傘下時代

2017年1月10日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[27]。シーズンでは開幕から傘下のAAA級ルイビル・バッツでプレーし、25試合に登板して2勝1敗2セーブ、防御率2.21、44奪三振の好成績を残していたが、6月13日に自由契約となった[2]

ダイヤモンドバックス傘下時代

2017年6月23日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級リノ・エーシズへ配属された。8月3日に自由契約となった後、7日に再契約。9月1日に再び自由契約となった[2]

タイガース時代

2018年2月23日にタイガースとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[28]。開幕は傘下のAAA級トレド・マッドヘンズで迎え、5月12日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[29]。この年は51試合に登板して4勝1敗、防御率3.51、41奪三振を記録した。レギュラーシーズン終了後の10月24日にFAとなったが、12月5日にマイナー契約で再契約した[2]

2019年年3月28日にFAとなった。

メッツ傘下時代

2019年5月29日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、7月4日に放出された。

投球スタイル

変則的なサイドスロー投手で奪三振率が高く、右打者に強い。平均球速144km/hのフォーシームと、平均球速140km/hのツーシーム、さらに平均球速131km/hのスライダーの3球種を武器とし、基本球種をスライダーとする技巧派である。かつてはカーブチェンジアップなども投げていたが、2016年シーズン終了時点では投げていない[30]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
2011 KC 48000014111.25024459.24492663644020192.871.17
2012 4200000002----21751.041102631651023213.711.31
2013 27000030041.00011029.21916113210220.610.84
2014 31000010111.00015434.03961811243021215.561.67
2015 4000010001.000113.010200100000.001.00
2016 LAD 61000021010.66721148.04552423453027254.691.44
2018 DET 5100004106.80021751.14352426410021203.511.31
MLB:7年 2640000126234.6671164276.22323612615152721201141083.511.29
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  • 2018年度シーズン終了時

背番号

  • 46(2011年)
  • 31(2012年 - 2014年)
  • 49(2015年)
  • 67(2016年)
  • 19(2018年)

脚注

関連項目

外部リンク

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