ルベン・アモリム
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マンチェスター・ユナイテッド監督時代(2024年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 | Rúben Filipe Marques Amorim[1] | |||||
| ラテン文字 | Rúben Amorim | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1985年1月27日(40歳)[1] | |||||
| 出身地 | リスボン | |||||
| 身長 | 178cm[2] | |||||
| 体重 | 77kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2003-2008 |
| 96 | (4) | |||
| 2008-2017 |
| 95 | (5) | |||
| 2012-2013 |
→ | 31 | (4) | |||
| 2015 |
| 2 | (0) | |||
| 2015-2016 |
→ | 9 | (2) | |||
| 通算 | 237 | (15) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 2003 |
| 3 | (0) | |||
| 2003-2004 |
| 13 | (0) | |||
| 2004-2005 |
| 13 | (0) | |||
| 2005-2008 |
| 10 | (0) | |||
| 2010-2014 |
| 14 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2018-2019 |
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| 2019 |
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| 2019-2020 |
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| 2020-2024 |
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| 2024-2026 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ルベン・フィリペ・マルケス・アモリム(Rúben Filipe Marques Amorim ポルトガル語発音: [ˈʁubɛn ɐmuˈɾĩ]、1985年1月27日 - )は、ポルトガル・リスボン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元ポルトガル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
現役時代は同胞のティアゴ・メンデスのようにセントラルMFとして守備的にも攻撃的にもプレーが出来、さらに右SHや右SBとしてもプレーした[3]。
ベレネンセス
2000年からSLベンフィカのユースチームに所属。2002年にCFベレネンセスのユースへ移籍し、2003年にトップチーム昇格。12月14日のFCアルヴェルカをホームに迎えた試合で、試合終了残り1分での出場がスーペル・リーガデビュー戦、チームは2-0で勝利した。以降はユースとトップ両方の試合に出場し、2005-06シーズンからは完全にトップチームへと移行していった。
2007年夏になると、ユース時代を過ごしたSLベンフィカを始めSCブラガ, FCポルトのポルトガル国内のみならずトッテナム・ホットスパーFC, トゥールーズFC等の国外のクラブも興味を示したが、アモリム本人は残留を希望し、またクラブ側もオファーを拒否した。このシーズンは29試合2,491分出場し、8位でフィニッシュした。
ベンフィカ
2008年4月、ベレネンセスとの契約が終了したアモリムはフリーエージェントでSLベンフィカに移籍した。1年目の2008-09シーズンからレギュラーとしてプレーすると、11月23日のアカデミカ・コインブラ戦で移籍後初ゴールを決め2-0で勝利した。2009-10シーズン、チームは実に5シーズンぶりとなるリーグとタッサ・ダ・リーガをするも、新加入のハビ・ガルシアとラミレスの影響で24試合中スタメン10試合に減少、その少ない時間の中で顕著なプレーを見せ、優勝に貢献した。
2010-11シーズンは、ジョルジェ・ジェズス監督の下でレギュラーとして再びプレーしていたものの、2011年1月19日に両膝の手術のため数ヶ月欠場することを余儀なくされた[4]。
2011年10月初期、ポルトガル代表に招集中に、"チームはたった1人の代表選手なしで殆どの試合をしている"と自国人をあまり起用しないジェズス監督を批判した[5]。12月のリオ・アヴェFC戦では、数分間ウォーミングアップをしても使われない苦境にますます嫌気が差し、さらに試合後にベンチの選手としてトレーニングすることを拒否したため懲戒処分を受けた[6][7]。2012年1月30日、翌2013年6月までの期間でSCブラガへ貸し出された[8]。2015年8月14日、アル・ワクラSCへ1シーズン貸し出された。
2017年4月4日、現役引退を発表した[9]。
代表

ポルトガル代表としてオランダで開催されたUEFA U-21欧州選手権2007に出場した。最終的に5位決定戦でイタリアに敗れたため、翌年の北京オリンピック出場は出来なかった。
2010年5月10日、当初は2010 FIFAワールドカップの23名に選ばれず[10]、6名のバックアップメンバーとしての登録だった[11]。しかし、ナニが左鎖骨の怪我で離脱したため、追加招集という形ながらも、2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出された[12][3]。6月15日のコートジボワール戦で試合終了残り5分のところでラウール・メイレレスに代わり出場し、A代表デビューを果たした。
指導者時代
2018-19シーズンにポルトガル3部のカーザ・ピアACで監督業をはじめたが、2019年1月に辞任[13]。
SCブラガ
2019年9月にSCブラガのリザーブチームの監督に就任したが[14]、わずか3ヶ月後の12月にトップチーム監督のリカルド・サ・ピントが解任され、後任としてブラガ監督に就任する[15]。2020年1月25日、カップ戦タッサ・ダ・リーガ決勝でFCポルトに勝利し、監督として初のタイトルを手にした[16]。しかしシーズン途中の同年3月に辞任し、スポルティングCPに電撃移籍した。
スポルティングCP
2020年3月のシーズン途中から、母国の名門クラブ・スポルティングCPの監督に就任。前所属のSCブラガに高額の違約金を支払っての獲得であった[17]。翌2020-21シーズンでは早々にクラブの期待に応え、チームを19年ぶりのプリメイラ・リーガ優勝に導く[18]。カップ戦タッサ・ダ・リーガも制覇して、フルシーズン初年度から2冠の大きな結果を残した。
翌2021-22シーズンは昨シーズンと同じ勝ち点85ポイントを獲得しながらもプリメイラ・リーガ2位に甘んじたが、タッサ・ダ・リーガを2連覇している。
2023-24シーズン、3年ぶりのプリメイラ・リーガを制覇[19]。
2024年11月1日、プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFC監督の移籍を発表[20]。10日の国内リーグ戦を最後に、リーガ全勝の成績でチームを離れた[21]。
マンチェスター・ユナイテッド
2024年11月、ポルトガルのスポルティングCPから途中移籍し、11日よりチームに就任[22]。2027年6月までの契約で、1年間の延長オプションが付帯している。リーグ戦27試合7勝6分14敗の15位。ヨーロッパリーグ準優勝の結果に終わった。
2025-26シーズン、自身の戦術である3バックシステムに固執。勝ち点を取りこぼす中で「私の哲学を貫く」「ローマ教皇でさえも私の考えを変えることは出来ない」と宣った[23]。実際10月の3試合は全勝し就任後初の3連勝を達成。3戦全勝無失点のアルテタ(アモリムは3失点)を抑え10月度の月間MVPを受賞し、軌道に乗ったかに思われた[24][25]が、第12節のエヴァートン戦ではエヴァートン側の選手が仲間割れで1人退場し10人相手になっていたにも関わらずホームで0-1で敗戦[26]。順位上格下のウェストハムやボーンマス相手に引き分けに終わり勝ちきれない試合が増えた。
アフリカネイションズカップ2025開催によりムベウモ、マズラウィ、アマドら主力のアフリカ人選手の離脱やケガ人の離脱によってスカッドのやりくりを強いられるとついに第18節のニューカッスル戦で4バックを採用。3バックで不調だったドルグが躍動し得点を決めそのまま勝利したが、2025年最後の試合、最下位のウルヴス相手にホームで再び3バックに戻すと1-1の痛恨のドローで勝ち点2を取りこぼした。続くローズ・ダービーも引き分けに終わると、「私はコーチではなくマネージャーとして来た。そうありたい」「スカウト部門、スポーツディレクターらそれぞれの部門が仕事をしなければならない」とフロント批判ともとれる発言をした。
2026年1月5日に解任された[27]。データサイト『Opta』によると、アモリムは就任してからの約14ヶ月間でマンチェスター・ユナイテッド史上最低勝率(32%)、最低クリーンシート率(15%)、1試合あたりの失点数最多(1.53点)を記録していた[28]。
個人成績
クラブ
| クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 国際大会 | その他 | 通算 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| ベレネンセス | 2003-04 | プリメイラ・リーガ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 2 | 0 | |
| 2004-05 | プリメイラ・リーガ | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 17 | 0 | ||
| 2005-06 | プリメイラ・リーガ | 25 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 26 | 3 | ||
| 2006-07 | プリメイラ・リーガ | 23 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 29 | 2 | ||
| 2007-08 | プリメイラ・リーガ | 29 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | 32 | 0 | ||
| 通算 | 96 | 4 | 8 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 106 | 5 | ||
| ベンフィカ | 2008-09 | プリメイラ・リーガ | 26 | 2 | 2 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | — | 35 | 2 | |
| 2009-10 | プリメイラ・リーガ | 24 | 3 | 2 | 0 | 2 | 1 | 10 | 0 | — | 38 | 4 | ||
| 2010-11 | プリメイラ・リーガ | 12 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 18 | 0 | |
| 2011-12 | プリメイラ・リーガ | 6 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | — | 14 | 0 | ||
| 2013-14 | プリメイラ・リーガ | 17 | 0 | 6 | 0 | 5 | 0 | 9 | 0 | — | 37 | 0 | ||
| 2014-15 | プリメイラ・リーガ | 10 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 | |
| 通算 | 95 | 5 | 14 | 0 | 14 | 1 | 29 | 0 | 2 | 0 | 154 | 6 | ||
| ベンフィカB | 2014-15 | リーガ・ポルトガル2 | 2 | 0 | — | — | — | — | 2 | 0 | ||||
| ブラガ (loan) | 2011-12 | プリメイラ・リーガ | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | 10 | 0 | |
| 2012-13 | プリメイラ・リーガ | 22 | 4 | 3 | 0 | 4 | 1 | 7 | 0 | — | 36 | 5 | ||
| 通算 | 30 | 4 | 3 | 0 | 4 | 1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 46 | 5 | ||
| アル・ワクラ (loan) | 2015-16 | スターズリーグ | 14 | 2 | — | — | — | — | 14 | 2 | ||||
| 総通算 | 237 | 15 | 25 | 1 | 18 | 2 | 40 | 0 | 2 | 0 | 322 | 18 | ||
代表歴
監督成績
- 2024年11月11日現在
| クラブ | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 % | ||||
| カーザ・ピア | 2018年7月1日 | 2019年1月7日 | 4 | 3 | 0 | 1 | 17 | 3 | +14 | 75.00 | |
| ブラガB | 2019年9月16日 | 2019年12月23日 | 11 | 8 | 2 | 1 | 27 | 7 | +20 | 72.73 | |
| ブラガ | 2019年12月23日 | 2020年3月4日 | 13 | 10 | 1 | 2 | 27 | 13 | +14 | 76.92 | |
| スポルティングCP | 2020年3月4日 | 2024年11月10日 | 231 | 164 | 34 | 33 | 510 | 199 | +311 | 71.00 | |
| マンチェスターU | 2024年11月11日 | 2026年1月5日 | 63 | 25 | 15 | 23 | 122 | 114 | +8 | 39.68 | |
| 通算 | 322 | 210 | 52 | 60 | 703 | 336 | +367 | 65.22 | |||