レオナルド・ロウレンソ・バストス
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
レオナルド・ロウレンソ・バストス Leonardo Lourenço Bastos | |||||
| ラテン文字 | Leo | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1975年7月6日(49歳) | |||||
| 出身地 | カンポス・ドス・ゴイタカゼス | |||||
| 身長 | 169cm | |||||
| 体重 | 76kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (左SB) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1996 |
| 32 | (5) | |||
| 1997-1998 |
| 40 | (1) | |||
| 1999 |
| 0 | (0) | |||
| 2000-2005 |
| 156 | (10) | |||
| 2005-2009 |
| 82 | (1) | |||
| 2009-2014 |
| 95 | (3) | |||
| 1996-2014 | 合計 | 405 | (20) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2001-2005 |
| 7 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月20日現在。 2. 2012年11月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
レオナルド・ロウレンソ・バストス(Leonardo Lourenço Bastos, 1975年7月6日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ州カンポス・ドス・ゴイタカゼス出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。
ブラジル
1996年に地元のアメリカーノFCでキャリアをスタートさせると、翌年サンパウロにあるウニオン・サンジョアンECへ移籍した。2シーズン後にSEパルメイラスへ移籍するも、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下では1試合しか出場出来ず、わずか6ヶ月で退団した。
その後に加入したサントスFCで、すぐにチームにとってなくてはならない存在となり、2002 カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAではジエゴ、エラーノ、レナト、そしてロビーニョらと共に自身キャリアで初の優勝を経験するも、翌年のコパ・リベルタドーレスは決勝で敗退した。
ベンフィカ
サントスで公式戦201試合に出場した後、30歳の時にポルトガルのSLベンフィカと移籍金不明・契約期間3年で加入した。2005年9月18日、ホームでのUDレイリア戦を4-0とデビュー戦を勝利で飾った。最初の3シーズンで平均27試合出場したが、その間、チームは常に優勝どころか2位をも逃していた。
2005-06シーズンのレオは公式戦36試合(全試合スタメン)に出場し、UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06で準々決勝まで駒を進めた。
サントス復帰
2008-09シーズン、同胞のダヴィド・ルイスとの激しいポジション争いに敗れ、出場機会が激減したため、2009年1月14日にベンフィカを去りサントスへ復帰した[1]。2011年は、リベルタドーレスを含む主要な4タイトルを獲得する中で、レオは彼の年齢にもかかわらず堅実なパフォーマンスを見せ、同年のカンピオナート・パウリスタで最優秀左SB選手に選ばれた[2]。2014年4月24日、契約満了に伴いチームを退団するとともに現役を引退することを発表した[3]。
代表
2001年5月31日、3-0と勝利したFIFAコンフェデレーションズカップ2001のカメルーン戦でブラジル代表デビューをした。チームは4位に終わり、レオはこの大会で5試合に出場した。ドイツで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2005ではジウベルトのバックアップという位置づけで、グループステージの2-2で引き分けた日本代表戦が唯一の出場試合だった。
所属クラブ
アメリカーノFC 1996
ウニオン・サンジョアンEC 1997-1998
SEパルメイラス 1999-2000
サントスFC 2000-2005
SLベンフィカ 2005-2009
サントスFC 2009-2014