ロシア社会主義連邦ソビエト共和国憲法
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| ロシア社会主義連邦ソビエト共和国憲法 Конституция Российской Социалистической Федеративной Советской Республики | |
|---|---|
| 全ロシア・ソビエト会議 | |
| 適用地域 | |
| 全ロシア・ソビエト会議 | |
| 署名者 | ヤーコフ・スヴェルドロフ(中央執行委員会議長) |
| 適用日 | 1918年7月10日 |
| 廃止日 | 1925年5月11日 |
| 廃止法令 | |
| 1925年憲法 | |
| 現況: 廃止 | |
| ソビエト連邦 |
|---|
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最高指導者 共産党書記長 |
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レーニン · スターリン マレンコフ · フルシチョフ ブレジネフ · アンドロポフ チェルネンコ · ゴルバチョフ |
| 標章 |
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ソビエト連邦の国旗 ソビエト連邦の国章 ソビエト連邦の国歌 鎌と槌 |
| 政治 |
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ボリシェヴィキ · メンシェヴィキ ソビエト連邦共産党 ソビエト連邦の憲法· 最高会議 チェーカー · 国家政治保安部 ソ連国家保安委員会 |
| 軍事 |
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赤軍 · ソビエト連邦軍 ソビエト連邦地上軍 · ソビエト連邦海軍 ソビエト連邦空軍 · ソビエト連邦防空軍 戦略ロケット軍 |
| 場所 |
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モスクワ · レニングラード スターリングラード ·クレムリン · 赤の広場 |
| イデオロギー |
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共産主義 · 社会主義 マルクス・レーニン主義 スターリン主義 |
| 歴史 |
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ロシア革命 ·ロシア内戦 ·大粛清· 独ソ不可侵条約· バルト諸国占領·冬戦争· 独ソ戦 ·冷戦 · 中ソ対立 · キューバ危機 ベトナム戦争 · 中ソ国境紛争 アフガニスタン紛争 · ペレストロイカ ·チェルノブイリ原子力発電所事故·マルタ会談 · 8月クーデター ソビエト連邦の崩壊 |
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国憲法(ロシアしゃかいしゅぎれんぽうソビエトきょうわこくけんぽう、ロシア語: Конституция Российской Социалистической Федеративной Советской Республики)、または1918年RSFSR憲法(ロシア語: Конституция РСФСР 1918 года)は、1918年7月10日に批准されたロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の憲法[1]。最初のソビエト憲法であり[2]、世界初の共産主義国家憲法である。
この憲法は、1917年の十月革命でのボリシェビキによる権力掌握の結果を法文化し、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を国名とし、プロレタリアート独裁の原則に従って、労働者階級をロシアの支配階級として定め、ロシア・ソビエト共和国を世界初の立憲社会主義国家とした。
レーニン憲法とも呼ばれるが[3][4]、1924年ソビエト連邦憲法をレーニン憲法と呼ぶ文献[5]もあるので注意が必要である。
また、ロシア共和国憲法とも呼ばれるが[6]、二月革命後に成立したロシア共和国や、1918年1月18日に国号が変更されたロシア民主連邦共和国、およびロシア政体法令 (1918年)と混同しないように注意が必要である。
経緯
ボリシェヴィキによる憲法制定議会の弾圧とロシア政体法令の廃止
社会革命党のヴィクトル・チェルノフらは1918年1月18日(旧暦1月5日)の憲法制定議会でロシア政体法令を公布し、ロシア民主連邦共和国へと国名を変更した。しかし翌日ボリシェヴィキによって憲法制定議会が強制解散され、政体法令も事実上廃止された。
労働者と搾取された人々の権利に関する宣言
その後、レーニンらボリシェヴィキは1918年1月31日に第3回全ロシア・ソビエト会議で「労働者と搾取された人々の権利に関する宣言」[7](勤労・被搾取人民の権利宣言[1])が採択された。この宣言では1917年11月から1918年1月までレーニンが出した数々の布告が基になった[6]。
1918年憲法の批准
1918年7月10日に第5回全ロシア・ソビエト大会でロシア社会主義連邦ソビエト共和国憲法が批准された[1]。ヨシフ・スターリンが起草した「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国憲法の一般規定」と「労働者と搾取された人々の権利に関する宣言」が最重要文書とされた[6]。
内容

目的
1918年のロシア・ソビエト憲法では、国家の究極の目的として、人間による人間の搾取を廃止し、階級による区分を完全に廃止し、搾取者を容赦なく抑圧し、ロシアに社会主義社会を樹立し、すべての国における社会主義の勝利を主な任務とするとされた[8]。また、労働者と農民の間に歴史的な同盟を形成し、両者がソビエト(評議会)を通じて国家を統治すると規定した。
国有化
第2章第3条では、次のように宣言された[8]。
- а)土地の社会化の実施において、土地の私有権は廃止され、土地全体が国有財産となり、土地の平等利用に基づいて、労働者に無償で譲渡される。
- b)国家にとって重要なすべての森林、鉱物水源、水域、およびすべての家畜、模範農場、農業関連企業は国有財産となる。
- c)搾取者に対する労働者の力を確保するために、工場、プラント、鉱山、鉄道、その他の生産手段と輸送手段を完全に国有化する。
- d) 国際銀行・金融資本への打撃のために、ツァーリと地主とブルジョアジーの政府によって締結された融資の無効化(破棄)を検討し、資本の軛に対する国際労働者の蜂起が完全に勝利するまでソビエト政権がこの道を確実に歩む。
- e)すべての銀行を労働者と農民の国家の所有に移すことは、労働大衆を資本の束縛から解放するための条件である。
ブルジョワジーの権利の否定
ロシア帝政時代のブルジョワジー・上層階級、およびロシア内戦において白軍を支持した者の政治的権利を明確に否定した。
第2章第3条gでは、搾取者・ブルジョワジーが国家権力を奪還するのを防ぐため、武装した労働者と農民による社会主義赤軍が結成されるのに対して、ブルジョワ階級は完全に武装解除されるとされた[8]。
第4章第7条では、プロレタリアと搾取者との決定的な闘争の時代に、搾取者はいかなる行政機関にも居場所を持つことができず、権力は完全にかつ排他的に労働大衆とその正式な代表者である労働者・兵士・農民代表ソビエトに属する、とされた[9]。
最高権力
最高権力は、ロシア全土の地方ソビエトの代表者で構成される全ロシア・ソビエト会議および同会議の全ロシア中央執行委員会に置かれ、国家の集団的指導部として機能するとされた。
全ロシア・ソビエト会議は人民委員会議(Sovet narodnykh kommissarov(ソヴェト・ナロードニク・コミッサロフ)、略称ソヴナルコム (Sovnarkom))を新政府の行政機関として選出し、その責務を国家事務の一般管理と定めた。ソヴナルコムは10月革命直後の1917年11月から、1918年憲法が採択される1918年7月10日まで政府の実権を握ってきた。
労働の義務
1918年憲法第2章第3条fでは、社会の寄生層を排除し、経済を組織するために、普遍的な労働義務が導入されると宣言された[8]。
1918年憲法第18条では、労働は全国民の義務であり、スローガンは「働かざる者食うべからず」とされた。これは聖書に由来する慣用句であった[10]。
後継
1918年ソビエトロシア憲法は、その後のソビエト社会主義共和国連邦の1924年ソビエト連邦憲法の雛形となった[11]。