ロバート・ピアリー
アメリカ合衆国の探検家
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経歴
- ボウディン大学在学中、ファイ・ベータ・カッパに入会を認められた。
- 1891年から1897年にかけて、4度にわたるグリーンランド探検を行う。その間、現地のイヌイット女性との間に2児をもうけた。1898年には、このグリーンランド探検の功績に対して、王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた[1]。
- 1898年に初めて北極点到達に挑戦するが失敗し、凍傷で足指8本を失う。
- 1906年に4度目の挑戦で北極点まで280kmの地点まで到達。
- 1909年4月6日、助手のマシュー・ヘイソンと4人のイヌイットとともに、彼らが北極点と断定した場所に到達[2]。(ただし、ピアリーの死後数十年を経て、彼の旅行記に航海上の誤りがあったことがわかり、目標地点まであと数マイル足りなかった可能性が高いとされている[2]。)
疑問点
1909年の探検から帰還後、元の仲間であるフレデリック・クックが「自分は、1908年4月21日に既に北極点に到達していた」と主張した。調査委員会が設けられたが、結局クックの訴えは退けられ、詐欺罪で収監となり、ピアリーが最初の北極点到達者と認定された。現在では、ピアリーが証人を買収したことがわかっているが、実際にクックは北極点の数百km手前までしか到達していなかったようである。
また、後の詳しい測量により、ピアリーらが北極点だとしていた点は正確には北緯89度57分(北極点から約6kmの地点)であったことが分かっている。また、ナビゲーションの技術を持つ者がいなかったにもかかわらず、旅程が不自然に順調であることなどから、到達そのものを疑問視する説もある。
もし初の北極点到達がピアリーでない場合、1926年のリチャード・バードによる北極点往復飛行か同年のアムンセン、ノビレ、エルズワースによる飛行船ノルゲ号での北極海横断飛行が最初の北極点「到達」となる。