ロン・スター

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リングネーム ロン・スター
ボビー・スター
ザ・スポイラー2号
ミスター・レスリング
本名 ロバート・ユージン・ナット[1]
ニックネーム アラバマの流星[2]
身長 181cm[2]
ロン・スター
ロン・スターの画像
1977年
プロフィール
リングネーム ロン・スター
ボビー・スター
ザ・スポイラー2号
ミスター・レスリング
本名 ロバート・ユージン・ナット[1]
ニックネーム アラバマの流星[2]
身長 181cm[2]
体重 105kg[2] - 109kg[3]
誕生日 (1950-04-03) 1950年4月3日[1]
死亡日 (2017-06-08) 2017年6月8日(67歳没)[4][5]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アラバマ州の旗 アラバマ州
モービル郡モービル[2][3]
スポーツ歴 レスリング[2]
デビュー 1969年[2]または1972年[3]
引退 1997年[3]
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ロン・スター"Rotten" Ron Starr、本名:Robert Eugene Nutt1950年4月3日 - 2017年6月8日[4][5])は、アメリカ合衆国プロレスラーアラバマ州モービル出身。

NWA世界ジュニアヘビー級王者アメリカ太平洋岸深南部カルガリープエルトリコなどのローカル・テリトリーを主戦場に活動し、日本には新日本プロレスに度々参戦した[1]

デビュー後はボビー・スターBobby Starr)のリングネームで活動。1973年よりロン・スターRon Starr)と名乗り、ジョージアフロリダミッドアトランティック地区などを転戦して、若手のベビーフェイスとして前座試合に出場[1]。ミッドアトランティックではボリス・マレンコブルート・バーナードジェリー・ブラックウェルミスター・フジミシェル・デュボアラリー・シャープらと対戦し、スティーブ・カーンともタッグを組んだ[6]

1976年2月、新日本プロレスに初来日。その後、ミッドサウス・エリアを基盤としていたNWAのトライステート地区に入り、12月2日にルイジアナ州ニューオーリンズにてパット・バレットからNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取[7]。4日後の12月6日にオクラホマ州タルサにてネルソン・ロイヤルに敗れ短命王者に終わったものの、ジュニアヘビー級選手としてのステータスを高め、1978年3月の新日本プロレスへの再来日ではWWFジュニアヘビー級王者藤波辰巳と再三対戦した(しかし、タイトルへの挑戦権は同時来日していたカネックに奪われた形となり、メキシコ人への差別意識も相まって、他の外国人選手と共謀してカネックをリンチしたとされる[8])。

2度目の日本遠征からの帰国後はサンフランシスコ地区で活動、ディーン・ホーエンリケ・ベラをパートナーにバディ・ローズ&エド・ウィスコスキーと同地区版のNWA世界タッグ王座を争った[9]。翌1979年3月3日にはトーナメントの決勝でロディ・パイパーを下して、空位となっていたUSヘビー級王座を獲得[10]。パイパーとは太平洋岸北西部でも抗争を続け、4月3日にアドリアン・アドニスと組んでパイパー&キラー・ブルックスからNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している[11]。同年下期からは中西部セントラル・ステーツ地区に参戦、9月17日にボブ・スウィータンを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得した[12]

1980年2月11日、古巣のトライステート地区にてレス・ソントンを下し、前王者ロイヤルの引退で空位となっていたNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得、2度目の戴冠を果たす[7]。この時期より主にヒールとして活動するようになり、ロサンゼルスでは本家のドン・ジャーディンにあやかった覆面レスラーザ・スポイラー2号The Spoiler #2)に一時的に変身して、4月18日にチャボ・ゲレロからNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取[13]。素顔に戻ると、6月6日にボブ・バックランドWWFヘビー級王座に挑み[14]、8月8日にはジ・アサシン(初代ジ・アサシンズトム・レネストの息子)と組んで日本から遠征してきた坂口征二&長州力北米タッグ王座に挑戦した[15]。同年9月の新日本プロレス参戦では、日本武道館にて藤波のWWFジュニアヘビー級王座に初挑戦している[16]

1983年は地元アラバマサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにて、ランディ・ローズウェイン・ファリスと組んで活動。ボブスコットブラッドのアームストロング・ファミリーと抗争を展開した[17]。翌1984年からはカナダカルガリースタンピード・レスリングに参戦して、3月2日にサニー・トゥー・リバーズから英連邦ミッドヘビー級王座を奪取[18]。戴冠中はフィル・ラフルールらの挑戦を退けている[19]。カルガリーではKYワカマツマネージャーを務め、バッドニュース・アレンとも共闘。ダイナマイト・キッドデイビーボーイ・スミスブレット・ハートらと抗争を繰り広げた[20]

1986年よりカルロス・コロンの主宰するプエルトリコWWCに進出。9月19日にトーナメントの決勝でインベーダー1号を破り、WWC認定の初代TV王者となった[21]。以降、1980年代後半はWWCを主戦場に、血縁ギミックのチッキー・スターとのタッグチームなどで活動[22]1987年11月と1988年8月には新日本プロレスに久々に来日した。1989年はカナダのマリタイム地区にも参戦、7月20日にレオ・バークからインターナショナル・ヘビー級王座を奪取している[23]

1990年代もプエルトリコを主戦場に、傭兵スタイルに変身してキューバン・アサシンとのロス・メルセナリオスLos Mercenarios)で活動[24]マーク&クリス・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズなどとWWC世界タッグ王座を争った[25]1990年8月25日にはウラカン・カスティーヨ・ジュニアを破り、WWC世界ジュニアヘビー級王座を獲得[26]。10年半ぶりとなるジュニアヘビー級王座戴冠を果たした。キャリア末期の1992年はダグ・マスターズを新パートナーに、レックス・キング&スティーブ・ドールのサザン・ロッカーズなどと抗争していた[27]

2017年6月8日、67歳で死去[4][5]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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