ワカフツヌシ
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記述
出雲国風土記
秋鹿郡
大野郷。郡家の正西十里二十歩にある。和加布都努志能命が狩りをされた時、郷の西にある山に待ち人[注 1]を立たせなさって、猪を追って、北の方角へお登りになったが、阿内(くまうち)の谷[注 2]まで至ったところでその猪の足跡が消えてしまった。その際に「自然となってしまったなあ。猪の足跡を見失った」と仰られた。よって、この地を内野と言うようになった。しかし、現在の人はなお間違えて大野と呼ぶだけである。[1]
出雲郡
美談郷。郡家の正北九里二百四十歩にある。所造天下大神の御子である和加布都努志命が、天地が初めて分離した後に天(あめ)の御領田(みしろた)の長となってお仕えなさった。この神が郷の中に鎮座していらっしゃる。よって、この地を三太三(みたみ)と言うようになった。神亀三年に美談へ改称した。正倉がある。[1]
考証
意宇郡の楯縫郷・山国郷条に布都努志命が見え[1]、『日本書紀』に経津主神が登場するが、これらフツヌシとの関係性は定かではない[3]。美談郷条ではワカフツヌシをオオナモチの子神としており、『日本書紀』の国譲り神話で活躍する経津主神とは大きく異なった記述になっている点から、楯縫郷・山国郷条及び『日本書紀』のフツヌシとは別神だと判断される[4][5]一方で、このような記述の相違が生じた要因を、出雲ではフツヌシ信仰がより古い時代に定着していたが後世にオホナムチ信仰へと吸収されてしまったからであると見て、ワカフツヌシとフツヌシを同神とする説もある[6]。神名の意義は刀剣に由来すると考えられるが、神話から読み取ることのできる性格は狩り・農耕の長などであり刀剣神の要素がほとんど見られないことから、神名と神話が乖離しているという問題点が指摘されている[3]。
風説では牛を飼育する技術に長けている牛飼神として信仰されており、現在の出雲大社本殿には和加布都努志命と耕牛の神像が心御柱の側に祀られている[7][8]。日本では牛が出雲を中心に中国地方で数多く飼育されており、牛飼神とされるワカフツヌシの信仰圏と重なっていることが論じられている[7]。