ヘニングはアンドレアスによるトルファンのマニ教文書の校訂・出版作業を引きついだ。
- Mitteliranische Manichaica aus Chinesisch-Turkestan. Akademie der Wissenschaften. (1932-1934)
また、自らマニ教ソグド語の研究を発表した。
- Ein manichäisches Bet- und Beichtbuch. Akademie der Wissenschaften. (1937)
ヘニングは「トカラ語」という名称を誤りとし、トカラ語Aをアルギ(焉耆)語とした[5]。一方トカラ語Bはグティ(亀茲)語であり、「月氏」という漢字表記はグティの音訳であるとした[6]。
- “Argi and the “Tocharians””. Bulletin of the School of Oriental Studies 9 (3): 545-564. (1938). JSTOR 608222.
さらに、ナクシェ・ロスタムのカアバイェ・ザルトシュトの3言語碑文(パフラヴィー語、パルティア語、ギリシア語、当初はパフラヴィー語部分しか知られていなかった)を研究し、これがシャープール1世がローマ帝国に勝利したことを記念する碑文であることを明らかにした。
- “The Great Inscription of Šāpūr I”. Bulletin of the School of Oriental Studies 9 (4): 823-849. (1939). JSTOR 607969.
ソグド語の語彙に関する主要な著書『ソグディカ』は、マン島に収容されている間に出版された。
- Sogdica. Royal Asiatic Society. (1940)
ヘニングは、オーレル・スタインの発見したソグド語古代書簡の年代を312-313年とした。
- “The Date of the Sogdian Ancient Letters”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies 12 (3/4): 601-605. (1948). JSTOR 608717.
ヘニングはホラズム語研究の草分けだった。
- “The Khwarezmian Language”. Zeki Velidi Togan armağan. Istanbul. (1956). pp. 421-436
ヘニングはスルフ・コタルのバクトリア語碑文を解読し(「バクトリア語」という名前自体ヘニングによる)、この言語がクシャーナ朝の王の母語であると論じた[6]。
ヘニングは中期イランのさまざまな文字で書かれた碑文に関する詳細な研究を著した。
- “Mitteliranisch”. Iranistik. Handbuch der Orientalistik. Leiden: Brill. (1958). pp. 20-130
歴史学の方面では、ザラスシュトラの時代と出身地を考察したが、他の学者は必ずしも賛成していない[7]。
- Zoroaster, Politician or Witch-doctor?. Oxford University Press. (1951) (1949年の講義を書物にしたもの)
また、『摩尼光仏教法儀略』を使用してサーサーン朝の王の在位年とマニの生卒年を確定しようとした。