ヴィミー
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経歴
フランスの実業家、ピエール・ヴェルテメールの生産したサラブレッドの牡馬である。ヴィミーはヴェルテメール所有のもと、アレック・ヘッド調教師のもとで競走馬となった。2歳時は2戦をこなし、1300メートルの競走で1勝を挙げた。
3歳時はメゾンラフィット競馬場で4月に行われたラグランジェ賞(2000メートル)から始動、同着1位で初戦を飾ると[1]、翌戦ロンシャン競馬場で行われたノアイユ賞(2200メートル)でも勝利を挙げた[2]。6月、シャンティイ競馬場で行われたジョッケクルブ賞にも出走し、重馬場も影響してか短頭差でラパーチェに敗れた[3]。
7月にヴィミーはイギリスに渡り、アスコット競馬場のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(11ハロン211ヤード)に出走した。この年の競走は賞金23,000ポンドとイギリス国内でも最高額が懸けられており、10頭立ての中1番人気にはエプソムダービー優勝馬のフィルドレイクで、一方のヴィミーは単勝オッズ11倍扱いであった[4]。レースは3歳馬アクロポリスが先導するなか、ヴィミーは最後の直線まで絶望的な位置にいたが、残り1ハロンで外からアクロポリスを追い抜き、アタマ差で勝利した[5]。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの外国馬の優勝は史上初であった。
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの後、セントレジャーステークスやワシントンDCインターナショナルに参戦する構想もあったが、結局はそのまま引退した。
競走馬引退後、ヴィミーはアイルランドキルデア県のアイリッシュ・ナショナルスタッドに種牡馬として繋養された。アイルランドで出した代表産駒に、1963年のエクリプスステークスに優勝したカーキスがいる。1964年にヴィミーは日本へと輸出され、1980年8月11日に同地で死亡した[6]。
主な産駒
- Khalkis - エクリプスステークス(1963年)
- ショウフウミドリ - 宝塚記念(1972年)
- パッシングゴール - 関屋記念、新潟記念(1972年)
- スピーデーワンダー - 阪神大賞典(1970年)
血統表
| 父系 | ワイルドリスク系 | |||
|---|---|---|---|---|
父 Wild Risk1940 鹿毛 |
父の父 Rialto栗毛 1923 |
Rabelais | St. Simon | |
| Satirical | ||||
| La Grelee | Helicon | |||
| Grignouse | ||||
父の母 Wild Violet鹿毛 1935 |
Blandford | Swynford | ||
| Blanche | ||||
| Wood Violet | Ksar | |||
| Pervencheres | ||||
母 Mimi1943 鹿毛 |
Black Devil 1931 黒鹿毛 |
Sir Gallahad | Teddy | |
| Plucky Liege | ||||
| La Palina | Ambassador | |||
| Parthenis | ||||
母の母 Mignon1935 鹿毛 |
Epinard | Badajoz | ||
| Epine Blanche | ||||
| Mammee | Bruleur | |||
| Mackwiller | ||||
| 母系 (F-No.) | (FN: F1-u) [§ 2] | |||
| 5代内の近親交配 | Bruleur M4×S5、Ajax M5×M5 [§ 3] | |||
| 出典 | ||||