クサール (競走馬)
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現役時代

本馬はオムニウムやキジルクーガンを生産したエヴレモン・ド・サンタラリの生産馬である。父ブリュルール、母キジルクーガンは共にパリ大賞の勝ち馬で、特にキジルクーガンはセプターを破ったことで知られている。両馬は共にオムニウムを近い祖先に持っており、クサールはオムニウムの2×3の強いインブリードを持っていた。
1歳時、テディを生産したエドモン・ブランによって、15万1000フランという非常識なほどの高額で競り落とされた。クサールをそれまでのフランスレコードを200%上回る額で競り落としたエドモン・ブランは、なぜこの馬にこれほどの額を支払ったのか尋ねられた際、「たしかに彼は不格好だ。だがまさにオムニウムのように不格好なのだ。それに歩様は実に美しいではないか」と評したと伝えられている。しかし彼はクサールの活躍を見ることなく翌年死去してしまっており、最終的にその妻の元で走ることになった。
ブリュルール産駒としては例外的に2歳時から出走し、3歳時にはジョッケクルブ賞や凱旋門賞(第2回)などの大レースを制した。ただし、両親が制したパリ大賞は、圧倒的な人気を集めながらイギリスからの遠征馬レモノラの着外に惨敗している。
4歳になっても好成績は続き、凱旋門賞を史上初めて連覇[注 1]。また、カドラン賞にも勝った。クサールは第一次世界大戦後のフランス最強馬と評価されることもある。
種牡馬入り後
1932年から1935年までブラン夫人のジャルディイ牧場で供用された。1931年にはトウルビヨンが活躍し、フランス首位種牡馬を獲得した。1935年にアメリカ合衆国へ売却され、ヴァージニア州のモンタナホールスタッド (Montana Hall Stud) に移動した。1937年の夏に内臓出血のため死亡、19歳。
評価
子孫
父方の直系子孫はトウルビヨンの子孫が主である。フランスや日本で一時期繁栄し、現在でもアイルランドを中心に少数が活躍している。この他にフォモールの子孫が障害競走分野で活躍した。馬術分野で成功した子孫もいる。
主な産駒
- トウルビヨン (Tourbillon) - ジョッケクルブ賞、リュパン賞。フランス首位種牡馬3回。トウルビヨン系の祖
- ルクサール (Le Ksar) - 2000ギニー
- トール (Thor) - ジョッケクルブ賞、カドラン賞
- フォモール (Formor) - 障害競走の名種牡馬
- アムフォルタ (Amfortas) - ガネー賞
- ウクラニア (Ukrania) - ディアヌ賞
- コンフィダンス (Confidence) - ドーヴィル大賞典
- カステルフサノ (Castel Fusano) - リュパン賞