クサール (競走馬)

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現役期間 1920年 - 1922年
欧字表記 Ksar
性別
クサール
第2回凱旋門賞優勝時
(1921年10月9日、ロンシャン競馬場
現役期間 1920年 - 1922年
欧字表記 Ksar
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1918年
死没 1937年9月
ブリュルール
キジルクーガン
生国 フランスの旗 フランス
生産者 エヴレモン・ド・サンタラリ
馬主 エドモン・ブラン夫人
調教師 Walter R. Walton(フランス
競走成績
生涯成績 15戦11勝
獲得賞金 163万4775フラン
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クサール (Ksar) は、1920年ごろに活躍したフランス競走馬である。凱旋門賞(1921,1922年)、ジョッケクルブ賞1921年)などに優勝した。1931年フランス首位種牡馬。馬名はクサールに由来。

現役時代

クサールの母、キジルクーガン

本馬はオムニウムキジルクーガンwikidataを生産したエヴレモン・ド・サンタラリ英語版の生産馬である。父ブリュルールwikidata、母キジルクーガンは共にパリ大賞の勝ち馬で、特にキジルクーガンはセプターを破ったことで知られている。両馬は共にオムニウムを近い祖先に持っており、クサールはオムニウムの2×3の強いインブリードを持っていた。

1歳時、テディを生産したエドモン・ブラン英語版によって、15万1000フランという非常識なほどの高額で競り落とされた。クサールをそれまでのフランスレコードを200%上回る額で競り落としたエドモン・ブランは、なぜこの馬にこれほどの額を支払ったのか尋ねられた際、「たしかに彼は不格好だ。だがまさにオムニウムのように不格好なのだ。それに歩様は実に美しいではないか」と評したと伝えられている。しかし彼はクサールの活躍を見ることなく翌年死去してしまっており、最終的にその妻の元で走ることになった。

ブリュルール産駒としては例外的に2歳時から出走し、3歳時にはジョッケクルブ賞凱旋門賞(第2回)などの大レースを制した。ただし、両親が制したパリ大賞は、圧倒的な人気を集めながらイギリスからの遠征馬レモノラ英語版の着外に惨敗している。

4歳になっても好成績は続き、凱旋門賞を史上初めて連覇[注 1]。また、カドラン賞にも勝った。クサールは第一次世界大戦後のフランス最強馬と評価されることもある。

種牡馬入り後

1932年から1935年までブラン夫人のジャルディイ牧場英語版で供用された。1931年にはトウルビヨンが活躍し、フランス首位種牡馬を獲得した。1935年にアメリカ合衆国へ売却され、ヴァージニア州のモンタナホールスタッド (Montana Hall Stud) に移動した。1937年の夏に内臓出血のため死亡、19歳。

評価

主な勝鞍

※当時はグループ制未導入

年度代表馬

なし

表彰・記録

  • 1931年 - フランス首位種牡馬

子孫

父方の直系子孫はトウルビヨンの子孫が主である。フランスや日本で一時期繁栄し、現在でもアイルランドを中心に少数が活躍している。この他にフォモールの子孫が障害競走分野で活躍した。馬術分野で成功した子孫もいる。

主な産駒

主な牝駒の産駒

  • ルパシャ (Le Pacha) - ジョッケクルブ賞、ロイヤルオーク賞、パリ大賞、凱旋門賞
  • クサールデスプリ (Ksar d'Esprit) - ローマオリンピック馬術障害飛越(団体)銀メダル

血統表

脚注

外部リンク

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