ヴィルヘルム・トムセン
From Wikipedia, the free encyclopedia
1842年、コペンハーゲン生まれ。1859年にデンマークのコペンハーゲン大学に入学してはじめは神学を学んでいたが、文献学に興味の中心が移った[1]。ハンガリー語とフィンランド語を学び、1869年にフィンランド語の中に含まれるゲルマン語からの借用語に関する論文を提出し、博士の学位を得た。それらウラル語族とインド・ヨーロッパ語族との共通語彙を根拠として、インド・ウラル語族説を唱えた。
教育者として、はじめ市民美徳協会(Society of Civic Virtue)がコペンハーゲンに開いたボーゲド・ギムナジウム(Østre Borgerdyd Gymnasium)[2]でギリシア語を教えたが、その後コペンハーゲン大学の教授に就いた。トムセンは1909年から没するまでの間、デンマーク・アカデミーの会長であり、王立アジア協会の栄誉会員であった[1]。
研究内容・業績
Bo Wickman (1988:808) によると、
- デンマークの学者ヴィルヘルム・トムセン (1842-1927) は、時代を問わず最大の言語学者のひとりだった。言語学の驚くほど多くの分野に貢献しており、それらの分野のすべてに等しく精通していた。
- 1893年に突厥文字で書かれたオルホン碑文を、ライバルのヴィルヘルム・ラドロフに先がけて解読した。
- コペンハーゲン大学で指導した彼の学生の中にはオットー・イェスペルセンがいる。
