万州区
中国重慶市の市轄区
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地理
歴史

夏・殷代は梁州の地とされ、周代には巴子国に属し、秦代は巴郡朐忍県の管轄とされた。万州地区に初めて県制が設置されたのは216年(建安21年)、後漢朐忍県を分割し羊渠県を設置、県治を現在の長灘に設置した。三国時代は蜀による230年(建興8年)に南浦県が設置され、西魏により魚泉県と、北周により安郷県、後に万川県、598年(開皇10年)には再び南浦県と改称された。

619年(武徳2年)、唐朝は南浦州を設置し梁山・南浦・武寧の3県を管轄した。627年(武徳8年)に南浦州は浦州と改称され、634年(貞観8年)には万州と改称され、清末期まで沿周され、中華民国が成立すると万県専区に改編された。1926年には軍閥を率いる楊森指揮下の軍によりイギリスの商船が万県で拿捕され、これをきっかけにイギリス軍砲艦が万県市街を砲撃した万県事件が起こっている。
中華人民共和国が成立すると1950年に万県専区は東行署区の管轄とされたが、1952年に四川省管轄に変更となり、翌年万県市が省轄市に昇格した。1970年、専区から地区に改編され、1992年12月11日に万県地区が廃止となり万県市(地級)が成立した。万県市は竜宝区・天城区・五橋区、および開県・梁平県・忠県・雲陽県・奉節県・巫山県・巫渓県・城口県の3区8県を管轄していた。
1997年12月20日、四川省の地級市(計画単列市)・重慶市が直轄市に昇格した。同時に同じく四川省の地級市だった万県市は廃止されて重慶市に編入され、重慶市万県移民開発区と万県区に改編された。翌年それぞれ万州移民開発区と万州区に改称された。2000年6月25日、万州移民開発区が万州区に統合され現在に至っている。
万州は重慶からは離れており経済的格差も大きく、しかも三峡ダム建設で市街地の半分近くが水没することになったため16万から17万人の住民が新市街地へ移転することになった。このため社会的混乱も大きく、重慶市とは利害が対立することもある。万州区には重慶市とは独立した公安局、工商局、税関などがあり、周囲の県を管轄する官庁もあり、重慶東部の中心都市となっている。
行政区画
名所・旧跡・観光スポット
- 天生城
- 重慶全国重点文物保護单位列表
教育
大学
- 重慶三峡学院
- 重慶三峡医薬高等専科学校
- 重慶安全技術職業学院
- 重慶三峡職業学院
- 重慶幼児師範高等専科学校
- 重慶信息技術職業学院
- 重慶科技職業学院
交通
健康・医療・衛生
- 重慶三峡中心医院
- 重慶市万州区人民医院
- 重慶市万州区第一人民医院
- 重慶市万州区上海医院
- 重慶三峡医薬高等専科学校附属医院[1]
- 重慶市万州区中医院
- 重慶市万州区婦幼保健院
友好都市
出身者
- 馮提莫 - 歌手。



