三ツ沢墓地

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開園 1908年[1]
日本
座標 北緯35度28分44.2秒 東経139度36分29.7秒 / 北緯35.478944度 東経139.608250度 / 35.478944; 139.608250座標: 北緯35度28分44.2秒 東経139度36分29.7秒 / 北緯35.478944度 東経139.608250度 / 35.478944; 139.608250
三ツ沢墓地
三ツ沢墓地の位置(横浜市内)
三ツ沢墓地
横浜市内の位置
詳細
開園 1908年[1]
所在地
日本
座標 北緯35度28分44.2秒 東経139度36分29.7秒 / 北緯35.478944度 東経139.608250度 / 35.478944; 139.608250座標: 北緯35度28分44.2秒 東経139度36分29.7秒 / 北緯35.478944度 東経139.608250度 / 35.478944; 139.608250
種別 公営
運営者 横浜市
総面積 50,302平方メートル
墓所面積 33,639平方メートル[1]
ウェブサイト 横浜市 三ツ沢墓地
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三ツ沢墓地(みつざわぼち)は、神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢上町にある横浜市営の墓地

1908年に開設。久保山墓地、日野公園墓地とともに横浜市が管理する市営墓地のひとつであり、久保山墓地に次いで2番目の規模。面積は50,302平方メートル、7,454区画に及ぶ[1]

管理事務所そばに以下の碑がある[2]

  • 横浜大空襲の犠牲者を慰霊するための「横浜戦災者慰霊碑・合掌の碑・戦災遭難者諸霊供養塔」
    • 横浜戦災者慰霊碑:1950年に横浜市が建立[2][3]
    • 合掌の碑:1972年に横浜戦災遺族会が建立[2][3]
    • 戦災遭難者諸霊供養塔:1947年建立[2][3]
  • 村尾履吉の「敬慕碑」:村尾家墓所に立つ、元海軍大佐・村尾履吉(1874–1946)の顕彰碑。村尾は関東大震災後、朝鮮人犠牲者の埋葬・供養に尽力し、1933年には同墓地に「朝鮮人納骨塔」を建立した。戦後の1947年には、李誠七らにより関連碑と遺骨が菊名蓮勝寺へ改葬され、同寺にも記念碑が建てられた[4][5]

埋葬されている著名人

施設

三ツ沢墓地周辺の空中写真。2019年6月16日撮影。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
  • 管理事務所:申請・手続き窓口。

交通

近隣の寺院

脚注

外部リンク

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