蓮勝寺 (横浜市)

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位置 北緯35度30分37.10秒 東経139度38分0.13秒 / 北緯35.5103056度 東経139.6333694度 / 35.5103056; 139.6333694座標: 北緯35度30分37.10秒 東経139度38分0.13秒 / 北緯35.5103056度 東経139.6333694度 / 35.5103056; 139.6333694
山号 菊名山
院号 喜楽院
蓮勝寺
所在地 神奈川県横浜市港北区菊名5-4-40[1]
位置 北緯35度30分37.10秒 東経139度38分0.13秒 / 北緯35.5103056度 東経139.6333694度 / 35.5103056; 139.6333694座標: 北緯35度30分37.10秒 東経139度38分0.13秒 / 北緯35.5103056度 東経139.6333694度 / 35.5103056; 139.6333694
山号 菊名山
院号 喜楽院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 正和4年(1315年)
開山 蓮勝上人
法人番号 1020005000471 ウィキデータを編集
蓮勝寺 (横浜市)の位置(横浜市内)
蓮勝寺 (横浜市)
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蓮勝寺(れんしょうじ)は、神奈川県横浜市港北区菊名にある浄土宗の寺院。山号は「菊名山」、院号は「喜楽院」。本尊は阿弥陀如来で、横浜七福神のうち毘沙門天を祀る札所となっている[2][3][4]

正和4年(1315年)に浄土宗の蓮勝上人が創建したとされる[3][5]。のちに荒廃したが、天文年間(1532年–1555年)に喜楽和尚が現在地へ移し中興した[6][7]

菊名の地名由来については、山号「菊名山」にちなむとする説がある[8][9]

寺には伝承も多く、境内の石猿が関東大震災を予見したとする話や、「走大黒」の伝承が伝わる[10][11][12]。寺の脇を通る川崎坂は、タヌキが薬缶に化けて坂を転がしたという昔話にちなみ、別名「薬缶坂(やかんざか)」とも呼ばれる[10][13]

境内

  • 本堂[14]
  • 鐘楼[14]
  • 毘沙門堂 – 横浜七福神毘沙門天[3][15]。蓮勝寺の像は左手に鉾を持つことから「左利きの毘沙門天」とも呼ばれる[6][14]運慶作の「日本三毘沙門」の一つと伝わり、正月松の内の7日間(初詣)と、1月・5月・9月の初寅の日に特別開帳される[14][16]。駅前商店街「菊名東口商栄会」は、この開帳期に合わせて「毘沙門天祭(毘沙門まつり)」を催している[16]

関東大震災犠牲者の追悼施設

左から弔魂碑、転徙改葬記念碑、納骨堂、改修記念碑

蓮勝寺の墓域には、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関連する慰霊碑が建つ[1][17]。1933年(昭和8年)に村尾履吉三ツ沢墓地の自墓所に私費で建立した「弔魂碑」と「朝鮮人納骨堂」は、村尾の没後(1946年)に翌1947年(昭和22年)、朝鮮人社会事業施設「愛隣園」園長の李誠七により当寺へ移設された[1][18][19]。この移設の経緯を記した「朝鮮人納骨塔転徙改葬記念碑」(1947年)が併置され、その裏面に由来が刻まれている[1][17]。その後、1989年に「韓国人墓地改修記念碑」が建立された[1][17]。移設に関わる碑文の書は横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)初代校長の鈴木達治による[1][20][18]。なお「弔魂碑」碑文については、移設時に九文字が削除されているが、具体的文言は確定していない[19][17][18]。震災後に李が収集・保管した遺骨は、宝生寺住職・佐伯妙智の斡旋を経て、東林寺と当寺で受け入れられたとされる[1][20][18]。慰霊碑では毎年秋に法要が営まれている[1]

交通

脚注

外部リンク

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