三上隆雄
日本の政治家 (1933-2026)
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略歴
青森県中津軽郡相馬村[1]のリンゴ農家出身[2]。青森県立弘前高等学校中退[3]。
1971年、相馬村議会議員[4]、同議長を経て[3]、1989年の第15回参議院議員通常選挙に青森県選挙区から「反核燃料」を掲げて無所属で立候補。推薦を受けた日本社会党は「マドンナブーム」に乗る形に加え、保守系候補は自民党新人の高橋長次郎と自民党の公認を得れず無所属で立候補した現職の松尾官平との分裂選挙となったことも奏功し、三上は初当選を果たした[5]。当選後は社会党の統一会派(日本社会党・護憲共同)に加わる[6]。
しかし、改選となった1995年の第17回参議院議員通常選挙では、前回同様に社会党の推薦を得て再選に挑むも、新進党・自民党の保守系対決に埋没し、当選した新進党新人の山崎力に加え、自民党新人の鳴海広道にも大きく引き離されて3位で落選する[7]。
その後、1999年の統一地方選で青森県議会議員選挙に弘前選挙区から立候補し、初当選[8]。以後3期務める。2008年、民主党会派に入る。2009年の第45回衆議院議員総選挙では青森4区から立候補した津島恭一の選対本部長を務めた[9]。2011年4月、民主党公認で立候補した青森県議会議員選挙で落選[10]し、同年7月、政界から引退した。
2026年7月8日、所有する弘前市内のリンゴ畑の様子を見るために外出したが、帰宅せず行方不明となり、翌9日、付近の山道で倒れているところを発見、死亡が確認された[11][12][13]。92歳没。死没日付をもって正五位に叙された[14]。