山崎力
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| 山崎 力 やまざき つとむ | |
|---|---|
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| 生年月日 | 1947年5月8日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 2021年6月2日(74歳没) |
| 死没地 |
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| 出身校 | 中央大学法学部法律学科卒業 |
| 前職 |
読売新聞記者 環境庁長官秘書官 |
| 所属政党 |
(日本新党→) (新進党→) (改革クラブ→) 自由民主党(額賀派) |
| 称号 |
従三位 法学士(中央大学・1972年) |
| 配偶者 | 山崎晃子 |
| 子女 | 次女・山崎結子(外ヶ浜町長) |
| 親族 |
祖父・山崎岩男(元衆議院議員・元青森県知事) 父・山崎竜男(元参議院議員・元環境庁長官) |
| 公式サイト | 参議院議員(青森選挙区) 山崎力 やまざきつとむ ヤマチャンネル(2020年8月3日時点のアーカイブ) |
| 選挙区 | 青森県選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 |
1995年7月23日 - 2007年7月22日 2010年7月26日 - 2016年7月25日 |
山崎 力(山﨑 力[1]、やまざき つとむ、1947年〈昭和22年〉5月8日 - 2021年〈令和3年〉6月2日)は、日本の政治家。位階は従三位。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。内閣府大臣政務官(第2次森改造内閣)、総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、参議院総務委員長、参議院予算委員長などを歴任した。
青森県青森市出身。東京都立日比谷高等学校を経て、1972年、中央大学法学部法律学科卒業。同年、読売新聞社入社。記者として16年勤務したのち、1988年1月、父の公設秘書となる。1989年6月、環境庁長官秘書官に就任[2]。
1992年の日本新党の結党に参加。1993年の第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認(公示時点では無所属で日本新党推薦、選挙期間中に追加公認)で立候補した[要出典]が落選。その後、新進党青森副会長に就任。
1995年の第17回参議院議員通常選挙では新進党公認で青森県選挙区から立候補し、初当選した。
新進党解党後は改革クラブを経て、2000年に自由民主党に入党。入党後、橋本派に入会した[要出典]。2001年の第19回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し、再選。2005年、第3次小泉改造内閣で総務副大臣に就任。2007年の第21回参議院議員通常選挙では、民主党新人の平山幸司に敗れ落選。
2010年の第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で青森県選挙区から立候補し、民主党新人の波多野里奈らを破って国政に復帰した。
2013年8月2日、参議院予算委員長に就任。2014年退任[3]。
2016年の第24回参議院議員通常選挙では自民党公認で青森県選挙区から立候補し、民進党新人の田名部匡代に8052票差で落選[4]。
2018年3月14日、一般社団法人青森県文化振興会議の理事長に就任[5]。2018年春の叙勲で旭日重光章を受章。
2021年6月2日、青森市内の病院で死去[6][7]。74歳没。関係者によれば、同年4月20日に新型コロナウイルスの陽性が判明し、入院治療していたという[8]。死没日をもって従三位に叙される[9][10]。
政策
エピソード
- 2014年3月12日、第186回国会参議院予算委員会において、「元気ですか!」といきなり絶叫したアントニオ猪木委員に対し、山崎委員長は「最初の御発声は、元気が出るだけでなくて心臓に悪い方もいらっしゃると思いますので、今後とも今後はお控え願いたいと存じます」と注意した。
