三井弥一郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
天正壬午の乱
人物
- 以下は甲陽軍鑑における記述である。
- 弥一郎が昌景に仕えたのは13歳のときであるが、このときに昌景は少年である彼に対し、「そなたの父はわしのために働いて死んだ。そちの祖父も曽祖父も武田家のために死んだ。そなたも父祖の名を辱めることの無いように励め」と述べられたという。
- 武田勝頼が昌景に対して、ある家臣の一人が敵に内通しているため、これを討てと命令を下した。昌景は家中の腕利きを集めてその抹殺を命じたが、弥一郎はまださすがに少年だったから対象外であった。ところがその直後、弥一郎は飼っていた鶏を抱きかかえてその家臣の屋敷の前に立った。そこにその家臣の男が現れ、訝しく思っていると、弥一郎は帯が解けたから、鶏を持って欲しいと家臣に頼んだ。その家臣は鶏を持ったため、両手が使えなくなった。すると弥一郎は隠し持っていた短刀を取り出して、男に突き刺したという。これを聞いた昌景は大いに賞賛したという。
- 正室の正栄院は弥一郎没後に徳川家康の側室となった[1]。