三好真一

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 1950年6月2日
没年月日 (1989-05-22) 1989年5月22日(38歳没)
三好 真一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県南宇和郡西海町
生年月日 1950年6月2日
没年月日 (1989-05-22) 1989年5月22日(38歳没)
身長
体重
175 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1968年 ドラフト5位
初出場 1969年
最終出場 1977年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

三好 真一(みよし しんいち、1950年6月2日 - 1989年5月22日)は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手

南宇和高校では1年生からレギュラーとして活躍。1968年夏の甲子園県予選では、三塁手、四番打者として決勝に進出。しかし井上明谷岡潔らのいた松山商に惜敗し甲子園出場を逸する。高校通算21本塁打。

1968年ドラフト会議中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。1年目の1969年から一軍に上がり、主に控え遊撃手として起用される。

1976年に、後楽園球場の人工芝対策で中日は正遊撃手の広瀬宰に控えの坪井新三郎までつけて梅田邦三を取り、結果として梅田の控えの遊撃手がいなくなり、当時はまだ遊撃手だった田野倉利男と共にキャンプで鍛えられたが、残念ながら二番手遊撃手の地位には届かなかった。

1977年には正岡真二がシーズン中盤に故障したこともあり23試合に先発、同年は自己最多となる79試合に出場した。しかし打撃面で精彩を欠き、翌年からは出場機会に恵まれず、1979年限りで引退

特筆すべきは、巨人長嶋茂雄引退試合となった1974年10月14日後楽園球場における巨人対中日最終第26回戦(ダブルヘッダー第2試合)で8番遊撃手として先発及びフル出場し、8回裏一死一、三塁の場面で現役最終打席の長嶋を遊ゴロダブルプレーに打ち取り、ミスタープロ野球・長嶋の打球を処理した最後の野手として日本プロ野球史にその名を残したことである[1]

1989年5月22日に38歳という若さで亡くなった。

詳細情報

脚注

関連項目

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