三好真一
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南宇和高校では1年生からレギュラーとして活躍。1968年夏の甲子園県予選では、三塁手、四番打者として決勝に進出。しかし井上明、谷岡潔らのいた松山商に惜敗し甲子園出場を逸する。高校通算21本塁打。
1968年ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。1年目の1969年から一軍に上がり、主に控え遊撃手として起用される。
1976年に、後楽園球場の人工芝対策で中日は正遊撃手の広瀬宰に控えの坪井新三郎までつけて梅田邦三を取り、結果として梅田の控えの遊撃手がいなくなり、当時はまだ遊撃手だった田野倉利男と共にキャンプで鍛えられたが、残念ながら二番手遊撃手の地位には届かなかった。
1977年には正岡真二がシーズン中盤に故障したこともあり23試合に先発、同年は自己最多となる79試合に出場した。しかし打撃面で精彩を欠き、翌年からは出場機会に恵まれず、1979年限りで引退。
特筆すべきは、巨人・長嶋茂雄の引退試合となった1974年10月14日の後楽園球場における巨人対中日最終第26回戦(ダブルヘッダー第2試合)で8番遊撃手として先発及びフル出場し、8回裏一死一、三塁の場面で現役最終打席の長嶋を遊ゴロダブルプレーに打ち取り、ミスタープロ野球・長嶋の打球を処理した最後の野手として日本プロ野球史にその名を残したことである[1]。