三尾神社
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- 主祭神 - 伊弉諾尊
歴史
その昔、長等山の山頂に腰に赤・白・黒の三つの帯を巻いた伊弉諾尊が降臨すると、里人によって長等山の鎮守神として祀られたという。また、腰に巻いた三つの帯が尾に見えたためにこの神は三尾明神といわれるようになった[1]。
ある時、その帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となりそれぞれ3か所で出現した。まず、最初に赤尾神が本神として卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方より長等山の琴尾谷(琴緒谷、上の三尾、山上の祠)[注 1][2]に現れた。次は白尾神で、大宝年間(701年 - 704年)の夏に現・三尾神社(筒井の祠、中の三尾)の地に現れた。最後に黒尾神が神護景雲3年(769年)3月14日(第2の卯の日)に鹿関(現・長等小学校の東側、下の三尾)に出現したという。三つに分かれてはいるが、三神とも本体は一つで伊弉諾尊である[1][3]。
三尾明神は貞観元年(859年)卯の年の春に園城寺初代長吏に就任した円珍によって、本神である赤尾神が現れた園城寺の境内の西方・琴尾谷(琴緒谷)に園城寺の鎮守として祀ることとし、社殿が建立されて三尾社、もしくは上三尾社と称されるようになった[1][3]。この神は円珍の教法を守護すべく円珍の入山を待ち望んでいたという[2]。その後、園城寺の境内が整備されると北院の鎮守は新羅社(現・新羅善神堂)、南院の鎮守は三尾社となった。三尾社の隣には三尾明神の本地仏である普賢菩薩を本尊とする普賢堂が建てられ、三尾社の預坊としてその神事を執り行った。また、白尾神と黒尾神が現れた地はそれぞれ三尾社の御旅所とされた。
現在の本殿(重要文化財)は応永33年(1426年)に室町幕府の前将軍足利義持によって再建されたものである[4]。文禄4年(1595年)に園城寺が豊臣秀吉の怒りに触れて寺領を没収された際、園城寺の建物はことごとく解体されてしまったが、新羅社本殿と三尾社本殿は被害を免れた。慶長年間(1596年 - 1615年)には秀吉によって社殿が修復されている[1]。
明治時代に入り、神仏分離が行われると新羅社は新羅善神堂という仏堂として園城寺に残ったのに対し、三尾社は1876年(明治9年)5月12日に社地を園城寺の境内から白尾神ゆかりの御旅所である現在地に移し、本殿なども移築して新たに三尾神社として独立した[4]。
1889年(明治22年)には内務省より古社保存資金を下賜されている[3]。翌1890年(明治23年)には境内のすぐ南側に琵琶湖第1疏水が作られた[5]。
創建時の物語からウサギは三尾明神の使いとされ、境内のあちらこちらにウサギの石造や彫刻が存在する[1]。また、神紋も珍しいウサギの紋となっている[4]。
園城寺境内にある旧社地は、現在は三井寺霊園琴谷苑となっている。また琴谷苑への入り口である石段の南側には、三尾明神が来臨するときは必ずこの石に座し、影向したという三尾影向石が残されている[2]。
境内
文化財
重要文化財
- 本殿 附:棟札 1枚、古材 3点、文書 3冊(三尾神社造営注文 1冊、三尾神社番匠方注文 1冊、三尾神社造営渡日記 1冊)
祭事
- 古例大祭 - 5月2日
- 渡御 - 5月3日
所在地
- 滋賀県大津市園城寺町251

