三浦小次郎
日本の武士 (1650-1664)
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生涯
生年月日は不明[2][1]。父は小左衛門[3](義景[1])。『寛政重修諸家譜』(以後『寛政譜』)によれば、三浦家は戦国大名今川家の家臣であった三浦小次郎義次の子孫で[4]、義次の子・三浦元秋(小次郎・八郎左衛門)が徳川家康に仕えた[1]。家禄は蔵米250俵[1]。本記事の小次郎は元秋の曾孫にあたる。
小次郎は明暦3年(1657年)7月16日に徳川家綱に御目見した[1]。万治2年(1659年)7月4日に大番に列し[1]、寛文2年(1662年)10月26日に納戸番に転じた[1]。なお、父は小次郎に家督を譲っておらず(父は新番を務めていた)、小次郎は立場としては部屋住みである[1]。
小次郎が率いた旗本奴の集団「吉屋組」は、「義也組」とも呼ばれ、その「異装・異風」の風体は「吉屋風」と呼ばれた[2][5]。「吉屋組」は、白柄の刀、白革の袴、白馬に乗っていたことから「白柄組」(しらつかぐみ)とも呼ばれた[6]。異説によると、「白柄組」は水野十郎左衛門(水野成之)の率いた「神祇組」を指すともいい[7]、河竹黙阿弥の歌舞伎狂言『極付幡随長兵衛』では、水野の組織が「白柄組」という設定になっている[8]。「吉屋組」には高木仁左衛門、相馬小次郎、小林次郎兵衛、赤井半右衛門といった人物が所属したという[9]。
寛文3年(1663年)、赤坂・日枝神社の山王祭で、乱暴狼藉を働いた[2][3]。これを目撃した大納言・徳川頼宣が、小次郎を父・小左衛門に預ける沙汰をしたとされる[3]。『寛政譜』によれば、赤坂で「不作法」のことがあったとして勘気を蒙り、寛文3年7月8日に父の小左衛門義景に預ける処分がされたとある[1]。
寛文4年2月17日(グレゴリオ暦1664年3月14日)に切腹したと伝えられる[2][注釈 2]が、異説もある。『寛政譜』には、延宝元年(1673年)に父が死去し、小次郎の息子の三十郎に家督相続が認められたのち[1]、延宝3年(1675年)6月24日に小次郎の罪が赦されたとある[1]。三十郎が相続した後の三浦家についての記録は途絶しているが[1]、叔父2人の家が『寛政譜』編纂時点で旗本として存続している[1]。
伝説・物語
1881年(明治14年)10月、河竹黙阿弥が書いた『極付幡随長兵衛』が、東京府本郷区春木町(現在の東京都文京区本郷3丁目)の春木座で初演されたが、この次点では、「三浦小次郎」が登場する第3幕の末尾『水道端仕返しの場』は存在せず、1891年(明治24年)6月、東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座4丁目)の歌舞伎座でお披露目された、三代目河竹新七らによる改訂版から、「三浦小次郎」が登場するようになる[8]。第3幕『湯殿殺しの場』までの上演が多く、三浦の登場は稀である[12]。『水道端仕返しの場』に登場する「三浦小次郎」は、町奴・幡随院長兵衛を『湯殿殺しの場』で暗殺した「白柄組」を率いる旗本奴・水野十郎左衛門に、切腹の沙汰が下ったことを、長兵衛一派の唐犬権兵衛らに知らせに来る役どころである[8]。
1913年(大正2年)4月、岡村柿紅が書いた『よし也男丹前姿』が歌舞伎座で初演され、主人公「三浦義也」の役は十五代目市村羽左衛門が演じた。同作は、同年1月に発行された『演芸倶楽部』第2巻第1号(博文館)に、鏑木清方描く挿絵付で掲載され[13]、同年5月に発行された同誌第2巻第5号には、平岡権八郎描く羽左衛門の「三浦義也」が表紙になった[14]。同作の物語では、神田・雉子町(現在の東京都千代田区神田小川町一丁目)の堀丹後(堀直寄)の屋敷前にあった「丹前風呂」の湯女・お浪(五代目中村歌右衛門)とその実の弟で役者の花井才三郎(六代目尾上菊五郎)の両親を、「三浦義也」が率いる「よし也組」の高木仁左衛門、樊膾の半兵衛らが殺してしまい、事情を知った「三浦義也」がお浪、才三郎、お浪の許嫁・和泉源之助に助太刀して、仇討ちをする話である[15]。「丹前風呂」は、幡随院長兵衛の暗殺事件や「明暦の大火」と同じ1657年(明暦3年)に廃止されており[16]、この物語はそれ以前の設定、ということになる。
1926年(大正15年)5月、池田大伍が書いた新歌舞伎『男達ばやり』が、おなじく歌舞伎座で初演され、主人公「三浦小次郎義也」の役は二代目市川左團次が演じた[17]。これは1931年(昭和6年)に同名のタイトルで映画化され、片岡千恵蔵が「三浦小次郎義也」を演じた[18]。同作は、旗本の「三浦小次郎義也」と町奴の朝比奈三郎兵衛の意地の張り合いの物語であるが、史実の朝比奈は、大阪の町人である。唐犬権兵衛、放駒四郎兵衛らが登場する。森一生監督の映画『錦絵江戸姿 旗本と町奴』も、『男達ばやり』の設定が下敷きになっている。
村上元三が雑誌『講談倶楽部』に連載した小説『かぶき浪人』は、1954年(昭和29年)に『お役者変化』として[19]、1960年(昭和35年)に『競艶お役者変化』としてそれぞれ映画化された[20]。
テアトログラフィ
歌舞伎で「三浦小次郎義也」を演じたおもな俳優の一覧である。生誕順。
- 十五代目 市村羽左衛門(1874年 - 1945年) - 『よし也男丹前姿』
- 七代目 松本幸四郎(1870年 - 1949年) - 『男達ばやり』
- 二代目 市川左團次(1880年 - 1940年) - 『男達ばやり』
- 三代目 市川壽海(1886年 - 1971年) - 『男達ばやり』
- 八代目 市川中車、八代目 市川八百蔵(1896年 - 1971年) - 『男達ばやり』
- 八代目 坂東三津五郎、六代目 坂東蓑助(1906年 - 1975年) - 『男達ばやり』
- 初代 松本白鸚、八代目 松本幸四郎(1910年 - 1982年) - 『男達ばやり』
- 三代目 河原崎権十郎(1918年 - 1998年) - 『極付幡随長兵衛』
- 九代目 澤村宗十郎、五代目 澤村訥升(1933年 - 2001年) - 『御存幡随長兵衛』(『極付幡随長兵衛』)
- 十二代目 市川團十郎(1946年 - ) - 『男達ばやり』
フィルモグラフィ
日本映画データベース、キネマ旬報映画データベース等にみられる「三浦小次郎義也」の登場する劇映画一覧である。末尾の俳優が義也を演じた。