三浦元秋

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時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 享禄4年(1531年)[注釈 1]
死没 元和4年8月1618年9月
別名 小次郎[1]、八郎左衛門[1]
 
三浦 元秋
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 享禄4年(1531年)[注釈 1]
死没 元和4年8月1618年9月
別名 小次郎[1]、八郎左衛門[1]
戒名 養拙[1][注釈 2]
墓所 神奈川県横須賀市大矢部清雲寺[1]
幕府 江戸幕府 久能山東照社
主君 今川氏真徳川家康
氏族 駿河三浦氏
父母 義次(小次郎)
義勝
特記
事項
系譜関係は『寛政譜』による。
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三浦 元秋(みうら もとあき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武士。駿河今川氏の旧臣で、のちに徳川家康に仕え、家康死後に創建された久能山東照社(東照宮)[注釈 3]附となった。通称は小次郎、八郎左衛門[1]

生い立ち

寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)によれば、駿河今川家に仕えた三浦義次(小次郎)[注釈 4]の子。『寛政譜』記載の没年・享年から逆算すると享禄4年(1531年)生まれ[注釈 1]。ただし、これでは父・義次が10歳の時の子となる[注釈 5]

江戸時代中期の随筆『塩尻』は、元和2年(1616年)に徳川家康が没した際に「三浦八郎左衛門」というで83歳で300石取りの武士が殉死したと記すが、この八郎左衛門は家康の少年時代[注釈 6]に草履取りを務めていたと説明している[4]。ただし殉死については井出八郎右衛門(家康の厩舎人を務めていた人物)と混同されたものである。江戸時代後期成立の『甲子夜話』にも、幼少期に家康に近侍した「三浦八郎左衛門」の話が見られる[2](後述)。

『寛政譜』によれば、元秋は今川氏真のもとでしばしば武功を挙げたという[1]

徳川家に仕える

『寛政譜』によれば、天正元年(1573年)に家康に拝謁してのちに仕えた。

元和2年(1616年)に家康が没すると、元秋は榊原照久久能山東照社祭主)に添えられて同社附となり、元和4年(1618年)8月に88歳で没した[1]

『甲子夜話』は、「三浦八郎左衛門」の死に関して以下のような逸話を載せる(ただし、八郎左衛門=元秋の職分についての説明はない)。三浦八郎左衛門は家康との縁から久能に住み、久能山の東照社に日参していたが、あるとき内陣から「三浦、三浦」と呼びかける声が聞こえたため、八郎左衛門は本殿の階下まで進んで遠拝した。八郎左衛門はこのことを榊原照久に語り、今生があとわずかであることとこれまでの懇意への感謝を述べ、その3日後に没したのであるという[2]

跡を子の三浦義勝が継いだ[1][5]

系譜

脚注

参考文献

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