三関

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三関のおよその位置を示した地図
三関 (畿内三関)

三関(さんげん、さんかん)とは、古代日本畿内周辺に設けられた関所の内、特に重視された3つの関の総称。三国之関とも呼ばれた。当初は不破関美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)、鈴鹿関伊勢国、現在の三重県亀山市か)、愛発関越前国、現在の福井県敦賀市内か)の3つを指したが、9世紀初頭に逢坂関(相坂関。近江国、現在の滋賀県大津市付近か)が愛発関に代わった。また、三関のある律令国三関国と呼ばれた。

古代、三関は天皇の交代など政情不安の際交通を遮断のため、堅く閉められていた[1]。三関には鼓吹軍器(兵器類)が常備され、必ず複数の国司四等官が関を守護するため常駐する規定があった[2]。この常駐四等官は城主とよばれ、非常事態に備えていた[3]

非常事態が発生すると、朝廷は三関に固関使(こげんし)を派遣する。この際、蔵司が保管する関契とよばれる割符の左符が固関使に与えられ、三関で国守によって保管されていた右符と照合を行なう。これが一致すると非常事態と認められ、関が閉鎖された。これを固関と呼ぶ。非常事態が解消した後の解関(開関)も同様の手続きによった。

関を閉鎖するのは、特に中央で非常事態が発生した折に、その期に乗じての東国から畿内への侵入を防ぐ目的である。また中央の謀反者の東国への逃走を防ぐ目的もあり、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では、愛発関を閉じて仲麻呂が息子のいる越前国への逃亡を防いだ[4]

歴史

関連項目

参考文献

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