三関
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古代、三関は天皇の交代など政情不安の際交通を遮断のため、堅く閉められていた[1]。三関には鼓吹軍器(兵器類)が常備され、必ず複数の国司四等官が関を守護するため常駐する規定があった[2]。この常駐四等官は城主とよばれ、非常事態に備えていた[3]。
非常事態が発生すると、朝廷は三関に固関使(こげんし)を派遣する。この際、蔵司が保管する関契とよばれる割符の左符が固関使に与えられ、三関で国守によって保管されていた右符と照合を行なう。これが一致すると非常事態と認められ、関が閉鎖された。これを固関と呼ぶ。非常事態が解消した後の解関(開関)も同様の手続きによった。
関を閉鎖するのは、特に中央で非常事態が発生した折に、その期に乗じての東国から畿内への侵入を防ぐ目的である。また中央の謀反者の東国への逃走を防ぐ目的もあり、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では、愛発関を閉じて仲麻呂が息子のいる越前国への逃亡を防いだ[4]。
