上宮遺跡
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奈良県西部、斑鳩町東部の平坦地に位置する。1991年度(平成3年度)に歴史公園整備事業に伴う発掘調査が実施されて[2]、新規の遺跡として旧字名で命名された[3]。
1978年(昭和53年)から2016年(平成28年)の発掘調査では[3][4]、中心となるものは飛鳥時代・奈良時代の遺構が検出されている[2]。飛鳥時代の遺構としては井戸・溝があり、出土品としては7世紀前半頃の土器類のほか、瓦(八葉素弁蓮華文軒丸瓦)・塼・凝灰岩切石がある[2]。また奈良時代の遺構としては掘立柱建物群があり、2時期に分かれる[2]。建物群の中心建物は東西7間・南北5間の二面廂の大型建物1棟であり「主殿」と見られる(以下「主殿」と呼ぶ)。柱間は天平尺10尺で約3メートル[5](以下尺は天平尺)。その北側にやや小型の建物1棟が、東側に南北棟の建物1棟が配されるほか、東側に総柱建物が所在し[2]、2016年までには計8棟が確認されている。これで大型建物「主殿」を中心に平城宮に見られる「コ」の字状の建物配置がされていることが判明した[4]。また棟間距離は30尺・50尺と完数距離であり造営に計画性がある[5]。出土品としては木簡・墨書土器や、多量の平城京跡出土瓦の同笵瓦がある[2]。
この上宮遺跡付近の南の成福寺跡は「葦垣宮」伝承がある[2]。
- 上宮遺跡の奈良時代の建物群については『続日本紀』に神護景雲元年(767年)と3年に称徳天皇が河内国へ行幸した記述にある途中で宿泊した宮殿の「飽波宮(あくなみのみや)」に比定する説が有力視され[2]、称徳時代の行宮と見られる[6]。
