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上村正之丞

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上村 正之丞(かみむら まさのじょう、1851年6月8日〈嘉永4年5月9日〉[1][2] - 1908年〈明治41年〉3月13日[3][4])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将[5][6]。鹿児島県出身旧士族[5]。海兵3期。

明治7年(1874年)9月、雲揚艦の乗組員として長崎へ回航し、台湾出兵に備える。明治10年(1877年)に西南戦争が始まると、前の年に海軍少尉補に昇進していた[7]上村は、横浜港から雷電丸 (戦艦)で鹿児島へ向かう[8][9][注釈 1]。

この間、明治8年4月に先進国の海軍を視察するためアメリカ合衆国のサンフランシスコを目指して筑波艦に乗船。帰路、ハワイに立ち寄った[7]。

西南戦争の戦火が鎮まると巡洋艦高千穂に配属、翌明治11年1月17日にはヨーロッパの海路調査のため軍艦清輝(明治9年竣工、897トン国産[10])で横浜を出発[11]、シンガポール海峡を経て地中海、ドーバー海峡を進んだ[11]。

明治26年(1893年)1月26日、愛宕艦長に補される。翌明治27年(1894年)12月9日には海軍大佐任官[12][13]と同時に大和艦長となり、その後、水雷術練習所長[2]、橋立艦長[14]、横須賀水雷団長、呉水雷団長などを歴任し、〈水雷の鼻祖〉と称される[2]。

明治34年(1901年)、海軍少将任官[15]、馬公要港部の初代司令官に就任する[16]。その後、佐世保海軍工廠長などを務め、明治38年(1905年)、海軍中将任官、明治40年(1907年)に予備役に編入された。

1908年(明治41年)3月11日に1階級特進を許され[17]、同月13日、肋膜炎にて没する[4]と、同月17日に宮中より侍従の清水谷実英伯爵(歩兵中佐)が勅使として訪れ弔意の品を届けている[4]。靖国神社へ合祀され、サワ未亡人に恩賜が授けられた[4]。墓所は青山霊園(1イ10-11)[要出典]。

官歴

西南戦争
日露戦争[27]

栄典・授章・授賞

家族

「○敍任及辭令○ - / - / - /上村サワ他(海軍省)」『官報』第7454号、6頁、1908年(明治41年)

脚注

参考文献

関連項目

関連資料

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