上湯川町
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松倉川水系の本流、松倉川の中流域東岸に位置する町丁。元々湯川村の一部であったが、松倉川を挟んで個別に集落ができたことから西岸を下湯川村、東岸を上湯川村とした。その東岸の集落である。上下分村時期は不明であるが函館市史通説では1785(天明5年)3月の「蝦夷拾遺(勘定奉行の松平秀持が青島俊蔵、佐藤行信らに蝦夷地調査を命じた。その調査記録)」には上下湯川村が記載されていることからその頃と考えられている。
「湯川」の地名由来は明治時代の教育者、永田方正が北海道蝦夷語地名解(永田地名解)にてアイヌ語由来の地名でユ・ペツ(湯の・川)が語源と紹介している。
町丁名(字名)としては1936年(昭和11年)からの地名で、亀田郡湯川村大字上湯川村字釜場沢、字古川端、字銅山で湯川町字上湯川町が成立[2]。湯川町の函館市への編入合併前は亀田郡湯川町大字上湯川村字上湯川だった[3]。
歴史
上湯川村時代
- 1785年(天明5年)頃 江戸幕府が湯川村が上湯川村と下湯川村に分かれていることを確認(蝦夷拾遺)。
- 1807年(文化4年)天領となる。
- 1867年(慶応3年) 上湯川村続鷲ノ巣が鷹ノ巣郷になる1868年(慶応4年)閏4月 箱館奉行(江戸幕府、杉浦誠)から箱館裁判所(明治政府、清水谷公考)へ政務の引き継ぎが行われる
- 1868年(明治元年)箱館戦争
- 1898年(明治31年)4月30日 上湯川村字釜場沢[5]に天使の聖母トラピスチヌ修道院が創立される[6]。
湯川町時代
- 1902年(明治35年)4月1日 亀田郡上湯川村、下湯川村、亀尾村が合併し、二級町村制施行により湯川村(大字上湯川村字釜場沢、字古川端、字銅山)となる
- 1925年(大正14年)10月1日 川汲山道新道が開通。自動車が通行可に。鱒川峠経由の鱒川道より亀尾経由へルートが変更される
- 1936年(昭和11年) 亀田郡湯川村大字上湯川村字釜場沢、字古川端、字銅山で湯川町字上湯川町が成立