上田正

日本の野球選手 (1914-1944) From Wikipedia, the free encyclopedia

上田 正(うえだ ただし、1914年10月25日 - 1944年[1])は広島県[1]出身のプロ野球選手

出身地 日本の旗 日本 広島県
生年月日 1914年10月25日
没年月日 1944年
投球・打席 右投右打
概要 基本情報, 出身地 ...
上田 正
基本情報
出身地 日本の旗 日本 広島県
生年月日 1914年10月25日
没年月日 1944年
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1937年
初出場 1937年5月15日
最終出場 1943年11月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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来歴・人物

広島県松本商業学校(現:広島県瀬戸内高等学校)では広田修三とチームメートだった。高校卒業後、広島専売局に入社[2]。社会人チーム・全呉の選手として、1933年の都市対抗にも出場している[3]

1937年5月小島利男の退団で選手層が薄くなった大阪タイガースに入団[4]。しかし、春季シーズン終了後に召集され退団。工兵隊の分隊長として、宜昌作戦贛湘作戦に従軍[5]。その際の功績が称えられ、金鵄勲章功七級、旭日章勲七等を受章した[5]。他に金鵄勲章を受章した職業野球選手には、前田喜代士(功六級)、後藤正(功七級)がいるが、いずれも戦死してからの授与であり、1940年以降は金鵄勲章の受章は戦死者に限られるようになったため、上田は存命中に金鵄勲章を授与された唯一の職業野球選手である[5]

1941年にタイガースに復帰。1942年には守備固め中心で63試合に出場した。しかし、1944年に再び召集され戦死した(没月日、死没場所は不明)。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1937 大阪
阪神
76623000300--0--0--01--.500.500.5001.000
1941 18494426100740--0--5--05--.136.224.159.384
1942 63128112714110173432--12--212--.125.222.152.374
1943 2852436200023110--9--05--.047.212.047.258
通算:4年 11623520517252102910542--26--223--.122.227.141.369
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  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大阪(大阪タイガース)は、1940年途中に阪神(阪神軍)に球団名を変更

背番号

  • 33 (1937年、1941年 - 1943年)

関連項目

脚注

外部リンク

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