金融業や不動産開発で財を成した[10]。横浜における事業の成功者であり、自由党を支援した同県人・吉田健三は資金の融通は幸八に仰いだ[11]。幸八は横浜市内屈指の資産家だった[2]。
祖先崇拝の念が厚い[7]。仏教に帰依し、多くの本山に多額の祠堂金を寄付した[7]。
郷土を思う念が強く、郷里の小学児童に郵便貯金通帳を配布して貯蓄心の培養につとめた[7]。北笹生溜池の拡張改修、道路の新設改修等に多額の寄付金を寄せた[7]。斗布神社に種種の施設又は物品を寄進するなど郷土の向上発展に意を用いたために、1913年に有志がはかって斗布神社境内に銅像を建設した[7]。
住所は神奈川県横浜市境町[1]、同市南太田町[2][5]、中郡大磯町[8]。