上野知子
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鹿児島県立鹿児島中央高等学校を卒業後東京女子大学を卒業し、1982年(昭和57年)4月1日にMBC南日本放送に入社。同期は采野吉洋。
同局アナウンス部専任部長を務めた。ラジオのニュース番組の担当は2018年(平成30年)3月をもって降板し、以降はCMのナレーションが中心で、事実上当局直属のナレーターとして扱われる。
2020年(令和2年)3月末で定年退職となり、同年4月からの嘱託再雇用も2025年(令和7年)3月をもって定年退職。2023年(令和5年)に本場大島紬クイーンコンテストの審査員も務める[2]。
アノンシスト賞は5回受賞しており、1995年(平成7年)度の第21回でラジオCM部門において最優秀賞を、1997年(平成9年)度の第23回で称揚部門において優秀賞を、1998年(平成10年)度の第24回でラジオ番組部門において優秀賞を、2004年(平成16年)度の第30回で活動部門において優秀賞を、2012年(平成24年)度の第38回でラジオ「読み・ナレーション」において優秀賞を獲得。
人物
ニックネームは、入社当初より「ともちゃん」。
趣味は、手作りの物全般。ポジティブ・シンキングと言われる。
白血病による降板
20年以上MBCアナウンサーとして活動してきたが、2006年(平成18年)1月に急性骨髄性白血病と診断され長年担当したラジオ番組『城山スズメ』を降板。その後、末梢血幹細胞の移植を受け一命は取り留めたが、療養のために長く休職した。
降板時はMBCから病気について公にされなかったが、重病説はこの時点で既に囁かれていた。しかし、3月末に後輩の豊田瑠衣がフリー転身、谷口智子が契約満了に伴い退社。5月には同期の采野吉洋も脳出血で突如降板[注釈 1]と、半年にアナウンサーが4人も現場を去る異常事態に見舞われた。MBCでは2000年代にアナウンサーが次々と退社、異動した事もあり、視聴者の間では社内の確執を疑う声も多々見られた。
2009年(平成21年)に現場復帰。2010年(平成22年)の城山スズメ復帰時に本人がブログ「ana the world」にて正式に急性骨髄性白血病だったことを公表し[3]、本格的に活動を再開。
上野が休職した3年間は竹下裕理が東京のCMAから派遣され、事実上代理となった。また上記の様な事態もあり、2006年(平成18年)は吉田智大、末永安佳梨、竹内梢、豊平有香の4名がアナウンス部へ採用された。なお竹下は上野と入れ替わりに退社し、地元の群馬へ戻っている。