世界陶芸祭
かつて滋賀県で行われた陶器の祭典・博覧会
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概要
信楽焼の魅力を世界へ発信するため、1990年6月の「滋賀県立陶芸の森」完成を見据え、1989年に県と町が主体となって実行委員会が発足した[1]。名称は当時京都文化博物館長であった吉田光邦によって考案された[2]。
当時の滋賀県は「湖国21世紀ビジョン」プロジェクトの一環で「ひとの時代・活力創生の郷土づくり」を目指し、交流の舞台をつくる「新・国民休養県構想」を謳っており[3]、公園完成直後には「プレ世界陶芸祭」及び「パブリックセラミックス展 '90」を開催[4][5]。1991年4月6日から5月5日にかけては滋賀県立美術館で博覧会に合わせ「近代日本陶芸の巨匠」という企画展が開催され[6]、会期と同時に記念切手の発売や山本直純ら著名人の招待などを積極的に行った[7][8]。総事業費は19億円[9]。
これらの効果もあり、当初来場者数は約35万人を見込んでいたというが、前売り券の時点で29万枚を販売[9]、最終的に60万人を超え、当時の博覧会ブームでも稀にみる盛況ぶりとなった[10]。
また、年一回の恒例行事として継続的に行うとする計画もあったという[11]。
会場

メイン会場の陶芸の森のほか、信楽伝統産業会館と滋賀勤労身障者体育館にサブ会場ががおかれたが、実質的には公園を含む信楽町一帯が会場として使われ、公園内では10ha分のみを会場として使用した[9]。
開場時間は9:30~18:00。陶芸をアピールするエキジビション、シンポジウム、イベントで構成されており、ヨーロッパ・アジア各国の陶芸展示・陶器市、障がい者の陶芸作品の出展、国際陶芸シンポジウム、陶と花のふれあい展、創作研修館フォーラムinしがらきなどの学術的パビリオンのほか、陶芸遊園地(陶芸広場)、ワークショップ、登り窯の設置、野焼きフェスティバルなど人々が陶芸に触れ合う娯楽展示場も多くあった[3][5][10]。
交通

国道307号(当時新名神は未開業)および信楽高原鐵道信楽線が主なアクセス手段となった。主催者側は人員の75%を道路、25%を鉄道によって賄う方針を立てた[1]。
鉄道
鉄道について、1990年3月に県知事稲葉稔は信楽高原鐵道および信楽線と貴生川駅で接続し京都方面へつながる草津線を持つJR西日本へ協力を要請した。信楽線ではイベントに合わせて大規模路線改良を行い[1]、1991年3月16日には貴生川~紫香楽宮跡間に小野谷信号場を開設。最短30分間隔、日中でも1時間間隔での運転を行うダイヤに改正し大量輸送に備えた。信楽駅からは会場までシャトルバスを運行した[12]。
期間中にはJRの協力でキハ58を用いた臨時快速列車が運行され、平日は京都駅発着の1往復、土休日は京都駅と大阪駅発着の計2往復が設定された。また線内でも貴生川~信楽間ノンストップの快速列車を1日6往復運行した。JRからは特別きっぷの販売も行われた[12]。
道路
鉄道に対して道路の整備は遅れ、会場内に駐車場を設けるのが追い付かなかったため、幹線道路沿いに設けられた2か所の駐車場から会場までシャトルバスで連絡するパークアンドライド方式がとられた[9]。
事故による中止
会期中の5月14日、信楽線内において小野谷信号場の信号機故障に端を発する列車衝突事故(信楽高原鐵道列車衝突事故)が発生し、当イベントのために運行されていた京都発の臨時快速と普通列車に乗っていた計670名が死傷、信楽線は長期的運休に追い込まれた。快速列車は満員であり、増加する来場者の多くが鉄道を利用する中でそれに合わせた無理な運行体制も事故の一因となった。