世良親王
鎌倉時代後期の皇族。後醍醐天皇の第二皇子。大宰帥、上野太守。
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来歴
亀山上皇の皇女昭慶門院に養育され、後醍醐天皇の側近中の側近だった北畠親房が乳父となった[1]。昭慶門院から愛育され、その遺領18箇所を相続した[3]。
聡明で父の後醍醐天皇から期待をかけられていたが、早世した[1]。元徳2年(1330年)は病が広く流行した年で[4]、世良親王は9月13日夜には既に病状が悪化して絶望的な状況にあり、遺言を書き記す力もなく、親房に遺命を託した[5][6]。世良は同月17日に薨去し、同日中に親房によって遺命書が作成された[6]。歴史学者で中世日本の政治と文化が専門の森茂暁の推測では享年20前後だという[3]。遺言により別業河端殿が禅院として寄進されたが[5]、これが現在の京都嵐山臨川寺である[1]。
親房はこの親王の冥福を祈るべく出家して「宗玄」と号した[1]。