Wikiwand AI

中井町

神奈川県足柄上郡の町 From Wikipedia, the free encyclopedia

中井町(なかいまち)は、神奈川県の南西部に位置し、足柄上郡に属する町。

国 日本の旗 日本
都道府県 神奈川県
概要 なかいまち 中井町, 国 ...
なかいまち ウィキデータを編集
中井町
厳島湿生公園
中井町旗 中井町章
中井町旗 中井町章
1963年5月1日制定[1]
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
郡 足柄上郡
市町村コード 14361-8
法人番号 4000020143618 ウィキデータを編集
面積 19.99km2
総人口 8,578人 [編集]
(推計人口、2026年8月1日)
人口密度 429人/km2
隣接自治体 平塚市、小田原市、秦野市、中郡二宮町、足柄上郡大井町
町の木 キキョウ
町の花 キンモクセイ
町の鳥 シラサギ
中井町役場
町長 戸村裕司
所在地

〒259-0197
神奈川県足柄上郡中井町比奈窪56番地
北緯35度19分50秒 東経139度13分08秒

中井町役場 2025年11月15日撮影
 
外部リンク 公式ウェブサイト

中井町位置図

■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
閉じる
中井町の位置(日本内)
中井町
中井町

土地利用は、山林が約34パーセント、農地が約24パーセントを占める[2]。東名高速道路の秦野中井IC付近には製造業や流通業の事業所が集積している[2]。

地理

神奈川県の南西部、足柄上郡の東端にあたる。大磯丘陵の北西部にある町域の3分の1は山林で、そのすべてが民有林であり、丘陵地の間の川沿いに農地と市街が位置する。西部には中村川、東部では葛川が町を縦断している。関東大震災によるがけ崩れで北部の川が堰き止められ震生湖ができた。震生湖という名はこれに由来する。震生湖は、日本一新しい自然湖であるとされ、湖畔には震災の調査に訪れた寺田寅彦の句碑がある。町の南西部には曽我山・不動山など200m - 300mほどの山があり、斜面にはみかん畑が点在する。

歴史

古代

少なくとも、縄文時代から人が活動していたといわれている。田中・一本松付近・境・井ノ口・松本の各台地には縄文土器の破片が散布している。松本の台地から殆ど完全に近い縄文土器の壺が発見されている[3]。

縄文期以降の人の活動の痕跡として、雑色横穴群や比奈窪横穴群、宮向横穴墓(※関東大震災と宅地開発で失われた)などの遺跡がある。雑色横穴群は8世紀中頃から末期にかけて、比奈窪横穴群は7世紀から8世紀にかけて、宮向横穴墓は7世紀前半に造られたものであるといわれている[3]。

735年の「相模国封戸租公益帳」には、「余綾郡中村郷五十戸」という記録があり(一郷=五十戸)、田は167町と記録されていた(参考として、田の広さを例えるならば、1958年(昭和33年)当時の中井町の田の規模は91町8反90歩と記されている。相模国封戸租公益帳に記されている田の広さは、1958年(昭和33年)当時の田の広さよりも大きい[3])。このため「中村郷」は、現在の小田原市上曽我・曽我原を含んでいたと考えられる。簡潔にいうと、現在の中村地区のルーツである中村郷は、少なくとも奈良時代には存在し、余綾郡に属していたといえる[3]。

中世〜近世

平安時代末期には、相模国の西側を治めた武士団である中村氏が、中村郷を荘園として支配していた。中村氏は桓武平氏の流れを汲んだ坂東平氏であり、源頼朝の挙兵にも参加した。

室町時代の僧道興による歌紀行『廻国雑記』に「蓑笠の社として社頭ましましける しばらく法施し侍りて 天の下 守らんための 誓とや ここにき宿る 蓑笠の社」という和歌が残っており、この和歌は蓑笠神社境内の根府川石に刻んで現存している。少なくともこの時代には蓑笠神社が存在したと考えられ、井ノ口の集落の存在を示唆する古い歴史書である。

戦国期には、鴨沢要害が築城され、大森氏に仕えた武和泉守や、北条早雲が戦を繰り広げてたとされる。

江戸時代には、比奈窪、松本、雑色、鴨沢、古怒田、半分形、田中、遠藤、藤沢、境別所の各村には、小田原宿の助郷をした記録が残っている。江戸時代末期には、小田原藩領が10ヶ村(うち2か村は旗本領との相給)、旗本領は8ヶ村(うち2ヶ村は小田原藩領との相給)となっていた。

中井の16の村は、丘陵地のため畑が多かった。境別所や岩倉では漆を年貢として納め、農閑期は薪を国府津に売り出して民衆は生計を立てていたという。庚申講や地神講、念仏講を結成した記録が残っている。講によって息抜きをしたり、富士講や大山信仰や観音信仰で巡礼し、通行手形を取得し他国を観察していたと考えられる。[3]

近代

  • 1873年(明治6年):寺院過去帳によると、現在の中井町に相当する地域で苗字がはっきりし始める。
  • 1884年(明治17年):全国的な農村困窮により、神奈川県西部を中心に「一色騒動(露木事件)」→真土事件 が起こる。井ノ口、境からも1名ずつ、大磯を襲撃した者がおり、姓名、年齢が公表されている。[県史通史編]
  • 1897年~1906年(明治30年代):中井の地において、乳牛の導入、落花生栽培、みかん栽培が導入される。乳牛飼養は、五分一の古西良、宮上の岩本又治郎、宮向の植木源六が先駆者とされている。みかん栽培は中村の相原恵佐が手がけた。これらの事業は失敗したとされるが、全国的にもかなり早期の取り組みだったようだ。
  • 大正期:農家の地主と小作人化が進む。豪農を中心に農産物の販売に力を入れるようになる。 
    • 1914年(大正3年):「井ノ口倉庫株式会社」が設立される。
    • 1920年(大正9年):「中井醤油株式会社」が設立される。
  • 1919年(大正8年):中村川流域の水田耕地整理が完了。二毛作が可能になる。おそらく現在の大町耕地(※役場南側の水田地帯)ではないか。
  • 1923年(大正12年):関東大震災が起こる。震生湖が誕生する。
    • 中井地区では、全村で死者24名、重傷者21名。建物被害は、全潰家屋163戸、半潰家屋325戸、倉庫や物置数知れず。全戸843戸の内、全半潰488戸と、58%分に相当する大被害。震災直後は507世帯がバラック居住を余儀なくされた。
    • 中井地区では、旧中村小学校と、比奈窪大町から旭橋間の道路、境別所の畑から山林にかけて亀裂が入った。中村小学校の校舎は新校舎が全壊、旧校舎も七分方潰れたという。各地区で地割れや土砂崩壊が多数。
  • 1928年(昭和3年) 12月:中井自動車株式会社が比奈窪〜二宮のバス路線を運行開始する。中村地区を通る町内初のバス路線である。
  • 1929年(昭和4年):秦野自動車株式会社が秦野〜二宮間のバス路線を運行開始する。井ノ口にもバス路線が通る。
  • 昭和初期:昭和恐慌。全国的な流れと同様に、中井でも天候不順により凶作に見回われる。
    • 昭和8年の村全体の収支は、[収入合計50万4660円10銭、支出合計51万8093円86銭] と赤字となる。
    • 1933年(昭和8年):助け合いのための講が流行。昭和8年地点で、中井村の頼母子講・無尽講は計72講に達する。
    • 1934年(昭和9年):中井村が「経済更生指定村」に指定される。 (注:経済更生指定村 は、当時の全国町村の約8割が指定されている。)
    • 1935年(昭和10年):当時の神奈川県知事石田馨が旧中村小学校で「経済更生指定村としての自力更生」の講和を行っている最中、小石大の雹が降り、夏作を全滅させてしまう。

(→農山漁村経済更生運動)

  • 1937年(昭和12年):湘南軌道が廃線となる。以降、町内の鉄道路線は存在しない。

戦後~現代

人口

中井町と全国の年齢別人口分布(2005年) 中井町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 中井町
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
中井町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 6,028人
1975年(昭和50年) 7,356人
1980年(昭和55年) 8,626人
1985年(昭和60年) 9,371人
1990年(平成2年) 10,054人
1995年(平成7年) 10,398人
2000年(平成12年) 10,222人
2005年(平成17年) 10,173人
2010年(平成22年) 10,010人
2015年(平成27年) 9,679人
2020年(令和2年) 9,300人
総務省統計局 国勢調査より

行政

行政区域の変遷

  • 1879年(明治12年):小田原支庁が廃止され、足柄上郡 中村、井ノ口村と、大住郡五分一村となる。
  • 1884年(明治17年):比奈窪・松本・岩倉・雑色・鴨沢・古怒田・半分形・田中・遠藤・北田・久所・藤沢・境・境別所・井ノ口の15村が、各村連合して比奈窪に役場を置く。
  • 1886年(明治19年):大住郡五分一村が足柄上郡井ノ口村に編入合併する。
  • 1889年(明治22年):町村制の実施。中村と井ノ口村が分離し、中村は比奈窪に、井ノ口村は米倉寺本堂に役場を置く。(※米倉寺の役場は、1908年(明治41年)の中井村成立まで使用されたと見られる。)

地区

  • 旧中村
    • 遠藤(えんどう) - 旧遠藤村
    • 田中(たなか) - 旧田中村
    • 半分形(はぶがた) - 旧半分形村
    • 古怒田(こぬた) - 旧古怒田村
    • 北田(きただ) - 旧北田村
    • 久所(ぐぞ) - 旧久所村
    • 藤沢(ふじさわ) - 旧藤沢村
    • 比奈窪(ひなくぼ) - 旧比奈窪村
    • 雑色(ぞうしき) - 旧雑色村
    • 鴨沢(かもざわ) - 旧鴨沢村
    • 松本(まつもと) - 旧松本村
    • 岩倉(いわくら) - 旧岩倉村
    • 境(さかい) - 旧境村
    • 境別所(さかいべっしょ) - 旧境別所村
  • 井ノ口(いのくち) - 旧井ノ口村

産業

総世帯数約3,000のうち、6分の1にあたる約500世帯が農家であり、また120世帯余が林業に携わっている。近年では東名高速道路のインターチェンジ付近に工業団地を造成したことにより、就業人口にも変化がみられる。

農林業

農畜産業

  • 中井町の町域面積のうち約4分の1が農地であり、世帯数の16%、人口の23%ほどが農家であるが、その数は年々減少している。
  • 2000年(平成12年)の耕地面積は513haで、そのうち作付延べ面積は430ha(耕地利用率83.8%)である。内訳は以下のとおり。
田 - 34ha(水稲23ha・陸稲1haなど)
畑 - 479ha
普通畑 - 319ha(らっかせい33ha・とうもろこし31ha・だいこん25ha・甘藷22haなど)
樹園地 - 160ha(みかん87ha・くり20ha・うめ11haなど)
  • 酪農農家は30戸あり、乳牛800頭余が飼育されている。生乳の出荷額は5億5千万円で、全体の4割以上を占める。

林業

  • 中井町の町域の約3分の1にあたる679haが山林・林野であり、その約3分の2、476haが天然の広葉樹林である。92haある人工林にはスギ(72ha)、ヒノキ(20ha)が植林されている。
  • 林業に携わる戸数は123戸である。

工業

  • 2000年の工業事業所数は97で、製造品出荷額は約842億円である。
東名高速道路秦野中井IC附近に造成された工業団地、グリーンテクなかいには、富士フイルムビジネスイノベーション、テルモ、日本通運、日立コンピュータ機器、日立インフォメーションテクノロジー、オカムラ、ブルックス(コーヒー豆)、他の工場が立地している。

商業

  • 卸・小売・飲食店数は134で、卸・小売を合わせた年間販売額は約210億円である。

地域

健康と福祉

  • 2000年の老齢人口比は14.3%である。これは全国平均よりも低く、県内平均とほぼ同じ数値であったが、2014年には28.4%まで上昇し、全国平均の25.2%、県内平均の22.5%を大きく上回り、高齢化の進展が著しい。
  • 2024年には、中井町の総人口は8933人となっており、65歳以上の人口は、3302人となっている。65歳以上の割合は、約36.9%(年齢不詳を除く) となっている[5]。

教育

施設

公民館

  • 井ノ口公民館[6]

コミュニティ

  • 中井町農村環境改善センター[7]
  • 中井町郷土資料館[8](令和6年5月1日より休館中[9])
    日本の神奈川県中井町にある中井町郷土資料館の写真。2025年11月15日撮影
  • 境コミュニティセンター[10]

公園

中井町にある中井中央公園内に、町の交流拠点として建てられたカフェ
  • 中井中央公園
    • 中井中央公園野球場・多目的グラウンドなどの施設がある[11]。2015年、Nakai Stadium Marche Vol.1 (ナカマル)開催場所[12]。2017年、Nakai American Sunday - ナカイアメリカンサンデー[13]開催場所。
    • 町が2017年に憩いと交流の拠点として整備した、「なかい里都まち♡CAFE」がある[14]。
  • 境グリーンテクパーク[15]
  • 厳島湿生公園[16]
  • 中井町総合グラウンド[17]

交通

鉄道

町内に鉄道路線はない。最寄り駅は小田急小田原線秦野駅、およびJR東日本東海道本線二宮駅。

過去には軽便鉄道である湘南軌道が町内を通っていたが、すでに廃止されている。

バス路線

道路

町の北部を東名高速道路が東西に横断する。

高速道路・有料道路

県道

郵便番号

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

竹灯篭の夕べ2025年撮影

祭事・催事

  • 五所八幡宮例大祭 – 例年4月29日開催。祭りで演じられる「鷺の舞」は町指定文化財となっている。
  • 美・緑なかいフェスティバル

著名な出身者

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks