中山信成 From Wikipedia, the free encyclopedia 中山 信成(なかやま のぶなり、明暦元年(1655年) - 元禄16年10月17日(1703年11月25日))は、水戸藩附家老(常陸松岡領主)中山家5代当主[注釈 1]。 第3代当主・中山信治の三男。母は向井忠勝の娘。子に信順(長男)、娘(中山信順養女、中山信昌室)。官位は従五位下、備前守。通称は内記、監物。 天和2年(1682年)12月16日に死去した兄の第4代当主中山信行の跡を継ぎ、天和3年(1683年)5月に5代目の水戸藩の附家老となり、徳川光圀に仕える。同年12月15日、従五位下・備前守に叙任。元禄元年(1688年)に光圀が隠居すると後継の徳川綱条を補佐した。元禄10年(1697年)には綱条の世子吉孚と将軍綱吉の養女八重姫の婚儀に尽力する。元禄13年(1700年)、与力だった17騎を家臣とすることが認められた[2]。元禄16年(1703年)に49歳で死去したが、長男の信順は幼少だったため、弟の信敏を養子に迎えて跡を継がせた。墓所は埼玉県飯能市の智観寺。 系譜 父母 中山信治(実父) 向井忠勝の娘(実母) 中山信行(養父) 正室 鍋島直能の養女 側室 岩根氏 子女 中山信順(長男) 生母は岩根氏 中山信昌室、中山信順の養女 養子 中山信敏 - 信治の七男 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 中山家は明治元年(1868年)に独立した藩として認められるが、幕藩体制下では独立した大名ではなく、一般に「藩」とは見なされない[1]。常陸松岡藩参照。 出典 ↑ 茨城県立歴史館(回答) (2014年4月25日). “Wikipediaの中山信敬(なかやまのぶたか)の解説に常陸国太田藩の第5代当主と書かれていた。「太田藩」は存在したのか。”. レファレンス協同データベース. 2026年3月21日閲覧。 ↑ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X 表話編歴中山家松岡領当主 (1683年 - 1703年)戸沢家 松岡藩 戸沢政盛1602-1622 出羽新庄藩に転封 中山家 松岡領 中山信吉1622-1642 中山信政1642-1651 中山信治1651-1681 中山信行1681-1682 中山信成1683-1703 中山信敏1703-1707 居所を太田に移す 太田領 中山信敏1707-1711 中山信順1711-1712 中山信昌1712-1743 中山政信1743-1771 中山信敬1771-1803 居所を松岡に戻す 松岡領 中山信敬1803-1819 中山信情1819-1828 中山信守1828-1857 中山信宝1857-1861 中山信徴1861-1868 維新立藩 松岡藩 中山信徴1868-1871 廃藩置県 Related Articles