Wikiwand AI

薩摩剣八郎

日本の俳優、スーツアクター (1947-2023) From Wikipedia, the free encyclopedia

薩摩 剣八郎(さつま けんぱちろう[出典 1]、(1947年〈昭和22年〉[出典 2]5月27日[出典 3] - 2023年〈令和5年〉12月16日)は、日本の俳優[4]、スーツアクター。薩摩豪剣研修会主宰[14]。

本名 前田 靖昭(まえだ やすあき)[1]
別名義
  • 久坂 龍馬
  • 中山 剣吾
生年月日 (1947-05-27) 1947年5月27日
没年月日 (2023-12-16) 2023年12月16日(76歳没)
概要 さつま けんぱちろう 薩摩 剣八郎, 本名 ...
さつま けんぱちろう
薩摩 剣八郎
本名 前田 靖昭(まえだ やすあき)[1]
別名義
  • 久坂 龍馬
  • 中山 剣吾
生年月日 (1947-05-27) 1947年5月27日
没年月日 (2023-12-16) 2023年12月16日(76歳没)
出生地 日本の旗 日本・鹿児島県出水市[2]
職業 俳優、スーツアクター
ジャンル 映画・テレビドラマ
活動期間 1967年 - 2023年
主な作品
『ゴジラ』
テンプレートを表示
閉じる

鹿児島県生まれ[出典 4]。本名は前田 靖昭(まえだ やすあき)[15][1]。別名に久坂 龍馬、中山 剣吾(なかやま けんご)[出典 5]。

経歴

エピソード

  • 特技は水彩画、示現流剣術(初段)[18][23]、空手道(4段)[18]、柔道(初段)[18]。
  • 芸名は、鹿児島県民の気質を表す「薩摩隼人」と「ぼっけもん」に由来する[18]。
  • 空き地で剣術を稽古していたところ、徐々にエスカレートして他人の土地に道場を建設するまでに至った結果、地主に見つかって泣く泣く退去させられた。[要出典]
  • 北朝鮮映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』では、撮影自体は楽であったが、現地の人々の純粋さが忘れられないといい、再び北朝鮮を訪れたいと語っていた[15]。

ゴジラに関するエピソード

  • 『ゴジラ対ヘドラ』への出演は、東宝で特技監督の中野昭慶に出会ったことがきっかけであった[9]。自分は顔出しの役だと思っていたため、怪獣(ヘドラ)役と知って落胆したが、事務所からギャラが良いと勧められ、引き受けたという[9]。また、以前からゴジラの名は知っていたが、映画館で鑑賞したことはなかった[9]。ヘドラが煙突から煙を吸うシーンでむせ返るなどの苦労もあったが、撮影が終わるころには面白いと感じるようになったと述懐している[9]。一方、ヘドラやガイガンでは、ただ演じるだけで精一杯であったとも述べている[15]。ゴジラ役の中島春雄は、なかなか動ける若いのが来たと評しており[8]、特にヘドラ役については動きづらい中でよくやっていたと述懐している[24]。
  • 『ゴジラ』(1984年)では、「185cmを超える役者」とのオファーに対し、当時主宰していた劇団の役者を推薦したものの辞退されたことから、代わりに自分(身長170cm)が演じることとなった[出典 10]。その結果、スーツはサイズが合わずにたるみ、覗き穴の位置も合っていなかったため、自ら穴を開けたという[15][10]。また、同作品の撮影時にメイキングを担当していた川北紘一に対し、メイキング用の撮影を断るなど不遜な態度をとっていたため、川北が特技監督を務めた次作『ゴジラvsビオランテ』以降のシリーズに起用されたのは意外であったという[出典 11]。薩摩を推薦したのも、川北であった[11][14]。薩摩は『ゴジラ』での演技に悔いが残っていたため、薩摩流のゴジラを作り出そうと改めて研究したといい、撮影で東宝映画会長の田中友幸から評価されたことにより、自信を得られたと語っている[14]。川北も『vsビオランテ』ではほとんど指導しなかったと述べている[27]。『ゴジラvsキングギドラ』では、肘を脇につけたまま手を動かす「薩摩ゴジラ」の動きが確立された[28]。薩摩ゴジラとしては『ゴジラvsスペースゴジラ』がひとつの完成形と述べている[29]。
  • 中島春雄から、「脇を開かず、つま先を蹴り上げて、足の裏を見せないように歩く」という基本動作を引き継いでいる[5]。一方で、中島が演じたゴジラとの違いを「凶暴一辺倒」としている[5]。ただし、薩摩はぬいぐるみの演技は理屈よりも実際に入って体得した方が良いとの考えから中島に直接教えを請わず模倣から入ったといい、中島も同様の考えであったため薩摩へ教えに来るようなことはなかったという[18]。
  • ゴジラに入る資格として「体力・精神力・演技力」の三力が必要であると掲げていた[4][21]。歩くシーンでは胸を張って堂々と歩くことを心がけており、ゴジラは誰にも媚を売らないというサムライの精神であったと語っている[26]。スーツは水をかけるとどんどん重くなるため、撮影前にはトレーニングで筋肉を活性化させて重さを克服し、最終的には気合で補っている部分もあったと述べている[4]。また、スーツは視界が悪いため、操演で飛んでくる敵怪獣とぶつかる際はタイミングをリハーサルで覚え、本番ではほとんど勘に頼って動いていると語っている[出典 12]。一番辛いこととして呼吸の問題を挙げているが、待ち時間にエアーを入れるようになってからは楽になったと述懐している[4]。
  • 撮影前には、ゴジラの動きと空手の型を組み合わせた「ゴジラ拳法」と称する運動を行い、腕が脇から離れないよう鍛錬し、気持ちを引き締めていた[18][21]。
  • VSシリーズの撮影では、ゴジラのスーツに入ったら待たせないことを条件としていた[11]。これは現場をだらけさせない意図もあったといい、川北も薩摩がスーツに入ると現場に活を入れていたという[11]。一方、ゴジラ付きのスタッフを気遣い、中に針金などが入ってしまっても言わずにおくなどしていた[15]。薩摩は、ゴジラそのものではなく、ゴジラ映画を作るスタッフが好きであったと述べている[26][31]。
  • 『ゴジラvsデストロイア』では、メカニックや電飾も含めたスーツの重量が120キログラムを越えるなど、過酷を極めた[出典 13]。後年に述懐したところによれば、スーツ内の炭酸ガスの噴射ギミックによる酸欠[注釈 1]で4回ほど卒倒したため、酸素ボンベを常時入れるようにしてもらったという[出典 14]。その後もレギュレーターが外れそうになったり[30]、ボンベのホースが捻れて酸素が来ないことがたびたびあったと述懐している[10]。
  • スーツの着用時は心理的な恐怖も生じるため、スーツアクターは肉体的な強さだけでなく、絶対的な自信を持つ精神力も必要であると述べている[11]。爆発や怪我よりも、閉鎖された中での恐怖が強く、スーツの中に入ったら何も考えないようにしているという[15]。
  • イベントなどでアトラクション用のスーツに入る機会もあったが、本心では嫌であったという[15]。また、テレビなどで他人が演じたゴジラも薩摩が入っていたかのように思われるのも辛いと語っている[15]。
  • 薩摩は、『vsデストロイア』で完全燃焼はしていないが、最後と決めて演じたため、ゴジラに対して未練や後悔はないと語っている[30][11]。薩摩は、同作品の撮影中から「次のゴジラには入らない」と度々口にしていたという[35]。
  • 第1作『ゴジラ』からシリーズに出演している俳優の宝田明は、『ゴジラvsモスラ』の撮影初日に薩摩からゴジラ役として挨拶をされたといい、ゴジラ役に誇りを持っている薩摩の姿勢に感銘を受けたことを述懐している[36]。
  • 平成VSシリーズの終了後に中島とともにシカゴのイベントに招待されたが、本名ではなく主催者が「サツマケンパチロウ」名義で飛行機のチケットを用意してしまい、渡航が危ぶまれたこともあった[8]。

出演

映画

テレビドラマ

オリジナルビデオ

  • 淫獣大戦KITORA(2001年)
  • 時空警察ヴェッカー(2001年) - 用心棒 役(友情出演)
  • Pマン サイバー美少女0指令(2003年) - 示現流師範 役

その他

著書

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks