富山省吾

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富山 省吾とみやま しょうご[出典 1]1952年昭和27年〉[出典 2]2月27日[出典 3] - )は、日本映画プロデューサー[6]東宝映画代表取締役社長[出典 4]日本映画大学理事長を歴任[8]沖縄県出生[出典 5]東京都出身[出典 6][注釈 1]

エピソード

最初に観たゴジラ映画は『キングコング対ゴジラ』(1962年)で、これが映画との出会いであったと語っている[28][注釈 3]。中高生時代はSF小説に傾倒していた[10]

大学在学中には、東宝で特殊美術のアルバイトを務めていた[出典 14]。富山の遠縁にカメラマンの唐沢登喜麿がおり、その伝手を頼っての参加であった[21]。背景美術の小島耕司は、当時の富山について覚えが悪かったが素直ないい子であったと評している[29]。また、東宝映画の社長に就任した後も偉ぶらず、重役らに小島を恩人と紹介するなどしていたという[29]。美術の白崎治郎も、富山は先輩を立てて礼儀正しく、裏方を大切にする人物であったと述べている[29]。富山は、当初は監督を志望していたため、最初から東宝本社ではなく東宝映画に行きたかったと述べている[14]

自身が宣伝から製作へ異動した理由について、売り手の気持ちや売り手の発想を活かすためであったといい、ゴジラシリーズでは東宝内の各部署とブレーンストーミングを行う全社を挙げての制作体制や、パブリシティと連動した撮影体制などを作り上げていった[30]

ゴジラvsモスラ』(1992年)では、山下公園のエキストラ撮影でツアーコンダクターを務め、自身も同シーンにカメオ出演している[8]

平成VSシリーズの制作中に復活したガメラシリーズについて、ゴジラと対決させることは不可能ではないがそれぞれの持ち味は異なるため本当に面白いかは疑問であり、夢のままでとっておいた方が良いと述べている[31]

プロデュース作品

ゴジラシリーズ

『vsビオランテ』では田中友幸が中心であったが、『vsキングギドラ』以降は田中の体調問題もあり富山に比重が置かれていった[出典 15]

その他のプロデュース作品

その他の参加作品

著書

  • 富山省吾『ゴジラのマネジメント プロデューサーとスタッフ25人の証言』KADOKAWA/アスキー・メディアワークス、2015年3月7日。ISBN 4048690000 

脚注

参考文献

外部リンク

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