激動の昭和史 沖縄決戦
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 激動の昭和史 沖縄決戦 | |
|---|---|
| BATTLE OF OKINAWA | |
| 監督 | |
| 脚本 | 新藤兼人 |
| 製作 | |
| 出演者 | |
| 音楽 | 佐藤勝 |
| 撮影 |
|
| 編集 | 黒岩義民 |
| 製作会社 | 東宝 |
| 配給 | 東宝 |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 149分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 前作 | 激動の昭和史 軍閥 |
| 次作 | 海軍特別年少兵 |
『激動の昭和史 沖縄決戦』(げきどうのしょうわし おきなわけっせん、英題:BATTLE OF OKINAWA[1])は、1971年(昭和46年)8月14日[3][注釈 1]に公開された日本の映画[4]。製作・配給は東宝[5][2]。カラー、シネマスコープ[3][注釈 2]。上映時間は149分[6][2]。
太平洋戦争末期の沖縄での戦いを描く「東宝8.15シリーズ」の第5作である[7][1][2][8]。1971年6月の沖縄返還協定調印にあわせて制作された[2]。軍人のみならず、ひめゆり部隊や市井の人々などを多角的に描いている[1]。前作まで出演していた三船敏郎は出ず、小林桂樹・丹波哲郎・仲代達矢の3人が主役級となっている[1]。
キャスト
- 第三十二軍司令部
- 第六十二師団
- 第二十四師団
- 独立混成第四十四旅団
- 大本営
- 台湾第十方面軍
- 海上挺身隊
- 義烈空挺隊
- 武剋隊
- 小禄海軍陸戦隊
- 戦艦大和
- 第五航空艦隊
- 沖縄県庁
- 南風原陸軍病院
- 学校関係
- ひめゆり部隊
- 健児隊
- 神山島斬込隊
- その他
- 小倉曹長:地井武男[5][1][注釈 3]
- 老人[5][注釈 4]:三井弘次
- 藤田曹長[10]:岩本弘司
- 抵抗する若い女[9]:大谷直子
- 水を売る男[10]:堺左千夫
- 山本憲兵隊長[10]:山本清
- 亀甲墓の爺さん[10]:藤原釜足
- 亀甲墓の婆さん[10]:辻伊万里
- 亀甲墓の父[10]:佐田豊
- 病気にうなされる老人[要出典]:香川良介
- 捕虜の少年兵[10]:高原勉
- 亀甲墓の子[10]:川瀬裕之
- 比嘉三平の老婆[10]:木浦すみ江
- 連隊区司令部将校[10]:江角英明
- 大森軍曹[10]:山本廉
- 海岸の歩哨[10][注釈 5]:大前亘
- 師範配属将校[10]:園田裕久
- 島の長老[11]:小杉昇二
- 疎開する少年[要出典]:永吉健太郎
- 壕の中の少女[10]:山添三千代
- 戦場を歩く4.5歳の少女[10]:山添久美
- その母[10]:中真千子
- ナレーター[10]:小林清志
ノンクレジット出演者
スタッフ
撮影
陸戦の描写が中心となるため、特撮はそれまでの戦記映画よりも少ないが[7][2]、1/1,100スケールの沖縄全島セットや1/200スケールの戦艦大和のミニチュアなどが造られた[12][2]。特殊技術を担当した中野昭慶は、セットが狭かったことから色合いを鮮やかにせずモノトーンに近いものとし、スモークで空気感を表現したと述べている[7]。
沖縄全島のミニチュアセットは、東宝撮影所第9ステージに紙と石膏を煮たものを用いて作られ、周辺の海には寒天を7トン使用している[2]。周囲の米軍艦艇は1/1,000スケールで作られた[2]。
M41軽戦車は木製の実物大模型のほか[13][2]、自衛隊の中古車輌も併用された[14][2][注釈 7]。戦闘シーンでの爆発には、1日あたり150万円分の火薬が用いられた[7]。
興行成績
東映社長の岡田茂は「ウチが同時期公開した『新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬』『やくざ刑事 俺たちに墓はない』の二本立てと同じぐらい3億7,000万~8,000万円の配収を上げたようだ」と話している[16]。