中峠城
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別名
芝原城
城郭構造
平山城
天守構造
なし
築城主
不明
(千葉県) | |
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中峠城跡にある庚申塔 | |
| 別名 | 芝原城 |
| 城郭構造 | 平山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 河村氏 |
| 廃城年 | 天正18年(1590年) |
| 遺構 | 土塁、郭 |
| 指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
| 位置 | 北緯35度52分32.8秒 東経140度04分33.72秒 / 北緯35.875778度 東経140.0760333度座標: 北緯35度52分32.8秒 東経140度04分33.72秒 / 北緯35.875778度 東経140.0760333度 |
| 地図 | |
中峠城(なかびょうじょう)は、千葉県我孫子市中峠(下総国相馬郡)にあった日本の城。芝原城(しばはらじょう)ともいう[2]。
歴史
構造
名称
中峠村が成立したのは江戸時代で、この城はそれ以前から「中峠の城」と呼ばれていたことがわかっている。
中峠という名前は一説には牓示(ぼうじ、荘園などの土地にたてる標識のこと)が由来しているといわれている。牓示は、「バウジ」、「ハウジ」と読まれていて、下総国では「ベウジ」、「ビャウジ」と転訛したといわれている。また、境界線の意味から、峠という字があてられていた地域もあったという。中世、所領の境界線、特に荘園の境界線を巡って訴訟が起きた際には、幕府にはそれを裁定する義務があり、そのさいの境界を設定するときに東西南北の中間に新たな牓示が打たれたり、改めて大きな牓示が打たれたりすることが多い。中峠とは、「中」(真ん中の、という意味)と「峠」(牓示のことを指していると考えられる)を組み合わせて真ん中の牓示を指していると考えられている[7]。

