中島泰蔵
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若狭国三方郡西郷村(福井県三方郡美浜町)に網元の次男として生まれる。幼名松太郎。
海軍志望だったが近視のために断念し[要出典]、大阪の泰西学館で米国人宣教師に英語を学び受洗。1887年、泰蔵と改名。1890年、泰西学館高等科を卒業。
元良勇次郎著『心理学』を読んで感動し、元良と文通したことから、1891年春に上京、元良主宰の心理学談話会に参加。生家の没落により困窮していたが、1891年6月、宣教師の世話で渡米し、コロラドカレッジに留学。Bachelor Of Philosophyとなる。
1893年、ハーヴァード大学に進み、ウィリアム・ジェイムズやミュンスターバーグに師事。しかし学費が続かなかったため、学位を取れぬまま1894年に帰国。早稲田大学や慶應義塾大学で文科講師を務める。1897年に『心理学講義』を上梓。同年、兵庫県の士族の娘で東京女子師範学校(お茶の水女子大学)を卒業した教師の龍敏(りょう・さと)と結婚。1898年、ヴィルヘルム・ヴントの著書『心理学概論』を元良と共訳し、冨山房から刊行。元良の世話で東大嘱託(東京帝国大学文科大学心理学事項取調補助)となる。
宮部金吾の世話で札幌農学校に赴任、英語と倫理学を担当。しかし情熱のない教師とされて学生たちから排斥を受けたため、1906年に辞職して、妻の学習院女子部教授就任に伴い一家で上京。敏からの支援で再び単身渡米し、ハーヴァード大学大学院修士課程で3年間ミュンスターバーグに師事。Master Of Artsの学位を取得し、米国科学会正会員となる。
コーネル大学大学院博士課程でエドワード・ティチェナーに師事、Doctor Of Philosophyを取得して帰国。しかし晩学だった上、東京帝国大学を頂点とする日本の学閥構造の中で孤立し、帰国後は師の元良の死去により後ろ盾を失ったため、学界では不遇だった。結核で死去。墓所は東京都世田谷区の豪徳寺。
著作等
- 著書
- 中島泰蔵『ミュンステルベルヒ氏道徳之起源』育成会、1901年。
- 『最新研究心理学』同文館、1910年。
- 他
- 「二十四年の春から二十八年を経て」(故元良博士追悼学術講演会編『元良博士と現代の心理学』弘道館、1913年、二「諸氏の追憶談による故博士の略伝」ⅴ「大学時代」1「講師及び教授の初期」、165~168頁、『日本の子ども研究--明治・大正・昭和--第1巻 欧米児童研究の移植と初期の研究』クレス出版、2009年、復刻所収)。
