松本亦太郎
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- 出生から修学期
1865年(慶応元年)、上野国高崎(現・群馬県高崎市)に高崎藩士飯野翼の次男として生まれた。1880年頃、後に倉賀野町長を務めた名士松本勘十郎の養子となり、その後、勘十郎の長女である糸と結婚した[2]。京都に出て、元良勇次郎と共に同志社英学校草創期の学生として学んだ。
旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学哲学科に入学。大学で夏目漱石は同級生であり、彼が書いた短編小説『琴のその音』に登場する心理学者の津田真方は亦太郎がモデルである[2]。
帝国大学を卒業後、アメリカの心理学者ジョージ・トランブル・ラッドの斡旋により私費にてイェール大学に留学した[3]。エドワード・ウィーラー・スクリプチャーの元で実験心理学を学び、助手を務めた[3]。音空間の研究で博士号を取得。その後官費を受給してライプツィヒ大学に留学し、ヴィルヘルム・ヴントの指導を受けた。
- 欧米留学帰国後、心理学研究者として
1894年9月、立教学校(現・立教大学)教授に就任[4]。1901年、東京帝国大学文科大学[5]の心理学講師を嘱託され、実験心理学の講義を担当。恩師元良勇次郎を助けて心理学の教育と研究にあたり、1903年心理学実験室を東京帝国大学に開設した。
1906年、新設の京都帝国大学教授となり心理学講座の新設に当たった。この間、京都市立絵画専門学校校長も務めた。恩師・元良死後の1913年、東京帝国大学教授となり、心理学と倫理学を担当。また、心理学講座を新設した。1921年1月24日、帝国学士院会員に選出された[6][7]。1926年、東京大学を定年退官。
学界では、1927年に日本心理学会を創設、初代会長に就任した。1943年に死去。
栄典
研究内容・業績
日本の心理学の基礎を築いた一人として知られるが、早い時期から心理技術者の育成にも熱心で、軍事、産業、教育、芸術、司法、航空など多方面にわたって心理学を応用し、指導者の養成に尽力した[3]。

